『豊臣兄弟!』も仰天!? 裏切り、暗殺、虐殺…戦国武将の「卑劣度」ランキング!【豊臣兄弟!トリビア】

戦国は卑劣な武将がわんさか!

現在放送中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、天下人に駆け上がった豊臣秀吉と弟・秀長の絆が描かれているが、戦国時代はまさに謀略と裏切りが渦巻く、弱肉強食の時代だった。

そのため信義を守り、義のために散った武将がいた一方で、「これはちょっとやり過ぎじゃないか…」と思わずにはいられない、卑劣な所業を重ねた武将たちも存在する。今回は史実や史料をもとに、戦国武将の「卑劣度」ランキングをここに発表~!!

【第5位】小早川秀秋
関ヶ原で恩人を裏切り、わずか2年後で急死! 大谷吉継の「祟り」説も

関ケ原での裏切りはあまりに有名

秀吉の正室・ねねの甥にあたる小早川秀秋(1582〜1602年)は、関ヶ原の戦いで天下の趨勢を決定づけた「問い鉄砲」の人物として歴史に刻まれている。
家康軍から鉄砲を撃ち込まれた直後、秀秋は西軍の大谷吉継隊への突撃を命じ、東軍の勝利を決定的にした。
この「裏切り」により、秀秋は岡山50万石という破格の加増を得たが、吉継は死に際し「人面獣心! 3年以内に祟りをなさん」と呪ったとの伝承が残されている(『関原軍記大成』に記録)。
近年の研究では秀秋は関ヶ原本戦前から東軍への内応を決めていたとも言われ、単純な「日和見の裏切り者」とは言い切れない面もある。
しかし秀秋は、関ヶ原の戦いからわずか2年後の慶長7年(1602年)に享年21という若さで急死している(死因は飲酒による内臓疾患とされる)。自らの裏切りへの良心の呵責が早死を招いたのか――それとも大谷吉継の祟りだったのか、真相は闇の中だ。

【第4位】細川忠興
妻を見た庭師を手討ちにし、血のりを妻の袖で拭った戦国最恐ヤンデレ夫

愛情が重すぎる

細川忠興(1563〜1645年)は茶人としても知られたエリート武将だが、妻・ガラシャへの「執着」はおぞましいほどだった。
例えば、ガラシャと言葉を交わしたというだけで庭師を手討ちにし、その場で刀についた血をガラシャの着物で拭ったという逸話が複数の歴史書に記録されている。
また、料理に入っていた髪の毛を見つけた際には、ガラシャが庇ったにもかかわらず料理人を打ち首にしたとも記録され、「ガラシャに近づいたオス猫は排除せよ」と侍女に命じたほどだった。
ちなみに、愛刀「歌仙兼定」は、36人の家臣を手討ちにした数が三十六歌仙と一致したことからその名が付いたと伝えられている。文武両道を誇ったこの名将の「裏の顔」は、戦国屈指の“黒歴史”と言えるだろう。

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