【戦後未解決事件史】ハンセン病差別が招いた「冤罪の闇」。菊池事件・F元死刑囚の絶望と孤独

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【戦後未解決事件史8・前編】
ジャーナリストの岡本萬尋氏が、事件の謎に迫る「シリーズ戦後未解決事件史」。第8弾はハンセン病とされた男が殺人罪などで死刑判決を受け執行された、「菊池事件」(1952年)だ。今回は発生から74年が経過したこの事件の深い闇に、再びメスを入れる(全2回中の1回目)。

隔離施設内で行われた「特別法廷」の異様

74年前に熊本県下で起きたある殺人事件をめぐって熊本地裁は2026年1月28日、再審を認めない判決を下した。被告男性を裁いた裁判に憲法違反があったと認めながら、それが再審開始の理由にはならないとする歪な結論だった。

事件が起きた場所の名を取り「菊池事件」と称されるその事件では、再審を求め続け生涯を終えた元被告の名前すら表立って語られることはない。

事件の背後には、この国の近現代史に滓のように横たわる闇がべったりと張り付いているからだ。長きにわたるハンセン病患者への根深き差別の歴史が、である。

今回の再審請求で大きな争点になったのが、ハンセン病を理由に隔離施設内で開かれた「特別法廷」の存在だ。

特別法廷は裁判所法の例外規定に基づき、最高裁が必要と認めた場合に裁判所外で開く法廷のこと。当事者がハンセン病であることを理由とする特別法廷は、1948年から’72年まで95件が設置され許可率は99%。結核など他の病気での申請が8割超却下された事実と残酷な対比をみせる。

最高裁が2016年4月に公表した調査報告書は、本来であれば事件ごとに患者の状態や伝染の可能性を検討するはずが、ハンセン病患者に対しては必要性を審査せず一律に特別法廷とする運用が続いてきたと指摘。2001年の熊本地裁判決が「隔離政策の必要性が失われ違憲は明白」と断じた1960年以降も、27件の特別法廷が開かれたことは「合理性を欠く差別的取り使いで裁判所法に反する」とした。

これを受け最高裁の寺田逸郎長官(当時)は「裁判所の対応に差別の助長につながる姿勢があったことは痛恨の出来事」と異例の自己批判。最高検も翌年3月、元患者側に初めて謝罪した。

最後のハンセン病特別法廷から54年。最高裁と検察庁の遅すぎた謝罪によって「差別的で違法な運用」(同報告書)の一端が明るみに出たものの、その全体像は今なお深い闇に包まれている。その最暗部こそ今回、再審請求がまたも退けられた菊池事件である。

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