【戦後未解決事件史】ハンセン病差別が招いた「冤罪の闇」。菊池事件・F元死刑囚の絶望と孤独

証拠なき死刑判決と弁護放棄の真実

菊池事件は1952年7月、現在の熊本県菊池市でハンセン病の患者調査に関わっていた村職員を殺害したとして、元患者のF元死刑囚が殺人罪に問われたものだ。

発端はF氏がハンセン病の疑いをかけられていた前年夏、近隣の職員宅にダイナマイトが投げ込まれた事件だった。職員は犯人としてF氏を名指しし、F氏はアリバイを主張したものの国立ハンセン病療養所「菊池恵楓園」内の隔離法廷で懲役10年を言い渡された。

絶望感にとらわれたF氏は療養所の特設拘置所を脱走したが3週間後の’52年7月、件の職員の他殺遺体が発見される。F氏は逮捕され取り調べで犯行を自白、同療養所の特別法廷で翌’53年8月に死刑判決。4年後には最高裁が上告を棄却した。

ダイナマイト事件での有罪も家宅捜索時にF氏の家族すら知らない導火線や布片が突如発見されるなど、正当性が極めて疑わしいものだが、職員殺害事件に至っては最初からF氏を犯人と決めつけた信じ難い捜査が展開された。

逮捕時、F氏は警官に拳銃で撃たれて全治7週間の重傷を負ったが感染を恐れた捜査員は満足な治療を施さず、苦痛にのたうつ中で自白調書が取られたのは逮捕の7時間後。およそまともな取り調べが行われた形跡はない。

極め付きはF氏が犯行時に着ていたとされる衣服からも、二転三転の末に凶器と断定された短刀からも血液が検出されていない事実だ。検察が拠り所とする、着衣に血痕のない理由が振るっている。

「検査資料はそもそも不潔であるし(鑑定前に)滅菌されたそうであるから、何かしら不明の物理的化学的な或いは雑菌等の繁殖等が影響して」(鑑定人意見)

いくらDNA鑑定などない時代でも、こんな理由で有罪にできるなら裁判など必要あるまい。

しかし確たる客観的証拠すら無いこの事件に特別法廷が下した判決は死刑。消毒液の匂いが立ち込める法廷、裁判官も検察官も長い予防着に長靴姿、ゴム手袋で証拠品を扱い火箸で調書をめくった。

特筆すべきはF氏が容疑を否認しているにもかかわらず弁護人が「別段述べることはない」と罪責を争わず、あまつさえ検察が請求したすべての証拠書類に反対尋問なしで同意したことだろう。事実上の弁護放棄に他ならず、傍聴人とて皆無の特別法廷にF氏の味方は誰もいなかった。

【戦後未解決事件史8・後編】へ続く

取材・文/岡本萬尋