広陵「暴力なし」認定の違和感と、日大三高「わいせつ動画」書類送検の戦慄──名門校ガバナンスの崩壊が露わにした現実

被害者を置き去りにする「感動のロンダリング」

広陵の「暴力なし」と、日大三高の「書類送検」。両者に共通するのは、組織の存続が個人の救済より優先されやすい構造だ。

広陵の報告書には、相談窓口が数年間機能していなかったと明記されている。これは、被害者が声を上げる場所すら十分に確保されていなかった可能性を示す。

日大三高の事件では、被害者の動画が部内で共有されていた期間、学校はその事実を把握できなかった。その間、加害行為は“日常”として続いていた。

そして、「頑張った球児たちがかわいそう」という情緒は、問題の本質を覆い隠す強力な装置になる。感動の物語が、被害者の痛みを上書きしてしまうのだ。

名門であり続けるために、開くべき“カギ”がある

名門校が不祥事を「教育的な自浄」ではなく、後手の調査や機能不全の組織で処理し続ける限り、同じ悲劇は繰り返される。必要なのは、外部機関による常設監査と、不祥事の完全な透明化だ。

部活動の調査は学校ではなく第三者が行い、相談窓口は外部が運営し、不祥事は即時に公表する。こうした仕組みが整わない限り、甲子園の熱狂は、被害者を追い詰めていくだけということを改めて考えるべきである。

【関連】高校野球にビデオ判定導入か 広陵高校問題の陰で争点になったルール作り