歴史的大敗は必然だった!? 麻生太郎政権を追い詰めた“側近政治”の恐ろしさ

首相官邸HPより
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は麻生太郎(中)をお届けする。

麻生政権が見誤った解散判断

自民党が麻生太郎首相に期待したのは、安定政権の確保と党への支持率回復であった。そのためには、衆院解散・総選挙の時期を的確に見極めることである。

しかし、衆院解散のタイミングを計っていた麻生ではあったが、閣僚の失態による辞任のほか、米国発の「リーマン・ショック」の直撃を受けて経済・景気の急速な落ち込みに見舞われ、時期を逸してしまった。

加えて、連立政権を組む公明党が強く推進した「定額給付金」に、各方面から“バラマキ”との批判が相次ぎ、政権の評判は急速に悪化していった。

折から自民党内が、消費増税をめぐる議論で二分されていることも手伝って、一致団結して総選挙へ突入することができなかったのである。

さらに言えば、一時は麻生も“べらんめえ口調”で人気を博したところだったが、漢字の読み違いや高級ホテルのバー通いなどが批判の対象となり、内閣支持率の低落一途も解散に踏み切れない要因となった。

しかし、一方で当時の民主党・小沢一郎代表の公設秘書が違法献金事件で逮捕されたり、北朝鮮による長距離弾道ミサイルの発射実験が重なったり、これらも解散への一つのタイミングではあったが、麻生にその決断はできなかった。

当時の麻生の苦境を、自民党ベテラン議員の一人はこう言っていた。

「麻生という政治家は明るい性格で、本質的に権謀術策型ではない。なので、選挙事情に精通しているわけではなく、政局を的確に見定められるかとなると、必ずしもそうとは言えない。そのうえで解散時期を読めなかったのは、派閥の側近や取り巻きが、正確な情報を麻生に入れていなかったからではないか。もとより、麻生は派閥(麻生派)の領袖だから、周囲も皆、遠慮があったようだ。その結果として“親分”の最終判断に、ブレが生じたということだろう。のちにこのブレが、麻生政権の命取りになったとも言える」【歴代総理とっておきの話】アーカイブ