歴史的大敗は必然だった!? 麻生太郎政権を追い詰めた“側近政治”の恐ろしさ

追い込まれた形で真夏の総選挙で歴史的大敗

主君と側近の理想的な関係は、時に側近は主君にとって耳の痛い情報であっても、臆することなく正確にそれを伝えられるかにある。耳に心地よい情報ばかりを入れていると、主君はここ一番の決断で、取り返しがつかないミスを犯すことになりかねない。

これが、いわゆる「側近政治」の怖いところで、当時の麻生には、そうした危うさがあったということである。麻生はツキにも見放されたか、その後もジレンマの連鎖に苛まれることになる。

東京都議会議員選挙をはじめ、地方選ではことごとく敗北といったありさまで、ついには解散・総選挙どころではなく、自民党内から「麻生降ろし」の声が出始めるといった具合だった。

しかし、自民党内には仮に総裁の麻生が代わっても、「選挙の顔」となる適当な人材が不足していた。そうしたなかで政権発足から1年近くが経過した頃、麻生はついに追い込まれた形で真夏の総選挙に突入したが、結果は“歴史的大敗”に終わったのである。

筆者はこのときの選挙戦をつぶさに取材したが、自民党の選挙態勢は緩みっぱなしであった。

すでに、野党の民主党がマニフェスト(政権公約)を発表していたのに対し、自民党の重要政策などが発表されたのは、公示が近づいてからというノンビリしたものであった。なんとも、やる気が疑われる動きだったのである。

また、選挙の司令塔となる幹事長、選挙対策委員長が連携に乏しく、それぞれ勝手に動いており、まったく統制の取れていない選挙でもあった。

そのなかで肝心の麻生はといえば、先にも触れたが必ずしも全国の選挙事情に通じていたわけではなく、組織票頼みの自民党支持団体を回って頭を下げることに終始していた。