歪んだ狂気が5歳児を生きたまま川へ…「功明ちゃん事件」に残る県警の失態と北関東連続殺人との関連性

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【功明ちゃん事件の闇・後編】
ジャーナリストの岡本萬尋氏が、事件の謎に迫る「シリーズ戦後未解決事件史」。第6弾は作家・横山秀夫の代表作『64』のモデルともなった残忍、かつ異様な身代金誘拐を目的とした「功明ちゃん事件」(1987年9月発生)の闇をお届けする(全2回中の2回目)。

功明ちゃん事件の闇・前編】を読む

橋の上から13メートル下へ投げ捨てる凶行

捜査本部の調べでは、殺害時刻は父親と言葉を交わした直後から翌朝午前10時までの間。功明ちゃんは寺沢川にかかる入の谷津橋から、生きたまま13メートル下に投げ落とされた。

落下の衝撃で動けなくなり、川の水と川底の砂を大量に吸い込んで窒息死したとみられる。幼い子供が犠牲となった過去の事件の中でも、ほとんど類例を見出し難いほどの残忍な犯行である。

群馬県警は脅迫電話の犯人の肉声を公開。全国から11万を超える問い合わせがあったが犯人に結びつく手がかりを掴むことはできなかった。それどころか事件発生翌日の15日に群馬県警は逆探知の態勢をなぜか解除し、後述する最後の脅迫電話の絞り込みに失敗している。

2002年9月、時効成立。男の声は、そんな捜査機関の醜態を嘲笑っているようでもある。

事件が起きた1987年、世間はバブル景気に酔っていた。地価は高騰を続け、東京の山手線内側の土地価格で米国全土が買えるとまで言われた時代。国鉄が分割民営化されてJRとなり、ゴッホの絵画『ひまわり』を日本企業が53億円で落札したのもこの年だ。

金満ニッポンにマドンナなど海外アーティストの公演も相次ぎ、9月に初来日した故マイケル・ジャクソンはこの事件を知り、「今回のツアーを功明君に捧げる」と異例のメッセージを発した。

そして遺体発見の2日後、9月18日には宮内庁が昭和天皇の腸疾患を発表し22日に手術。事件の続報を伝える同じ新聞紙面には「回復願い、お見舞いの記帳始まる」との記事も見える。バブルの喧噪の中、昭和が幕引きに向けて歩み出そうとしていた。

そんな時代の夕暮れに、ふいに現れた正体不明の誘拐犯の行方は杳として知れない。昼から夜に移ろう薄暮の時間帯を「逢魔が刻」と称するが、街並みが夕闇にぼやける、その覚束ない物陰から溶け出すように現れた異界の者が功明ちゃんを連れ去ったのか。

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