何人が北朝鮮国内に!? 目撃証言&極秘文書から次々浮かび上がる日本人拉致被害女性の肖像

海岸にカバンを残し忽然と消えた女子大生

特定失踪者にも含まれていない久我ヨシ子とは一体誰なのか。地村さん夫妻が招待所の係員に聞くと、夫妻が来る直前まで、ここで生活していた女性と答えたという。佐渡出身という共通点から曽我ひとみさんの母親のミヨシさんではないかとの推測もあるが、年齢や家族関係に齟齬もあり人物特定に至っていない。

いずれにしても70年代末、招待所の三面鏡に自らの「生存の証し」を残して忽然と消えた日本人女性がいたことは間違いない。

そして特定失踪者もまた、拉致とも、拉致ではないとも断定できない膨大な数の失踪者が存在することは疑いない。長ければ数十年間、何の情報も誰からの助けもないまま、肉親の帰りを待ち続け真綿で首を絞められるような歳月に耐える家族の存在も、である。

「ケーキ食べに行かない?」。神戸・六甲山のふもとにある神戸松蔭女子大学の校門。同じゼミの親友を誘ったこの一言が、4年生の秋田美輪さん(不明当時21)が最後に目撃された姿となった。

日航ジャンボ機墜落事故が起き、阪神タイガースが初の日本一となった1985年、12月4日の午後だった。

その日の夜8時ごろ、美輪さんは母親に電話をかけ、ケーキに誘った女友達の家に泊まるから「心配しないで」と告げた。初の外泊だったが、それは偽りで彼女は友人宅を訪れていない。どこからかけてきた電話だったのか。そしてこれ以後、美輪さんの声を聞いた人はいない。

翌朝、日本海に面した兵庫県豊岡市の弁天浜海岸で美輪さんのかばんと靴が発見された。砂浜には波打ち際に沿って行きつ戻りつした足跡が残されていたという。入水自殺が疑われたが、海上保安庁や県警、漁協も動員した大規模な捜索でも何の手掛かりもなかった。

残されたかばんから、不可解なものが見つかった。国鉄(当時)大阪駅発行の急行券。改札のパンチや社内での検札の跡がない。また急行券は「150キロ圏有効」だが、大阪から弁天浜の最寄り駅までの営業距離は約193キロでその範囲を大きく超える。

このため美輪さんは別の場所で拉致され、弁天浜に来たと偽装するため急行券をかばんに忍び込ませたのではないかとの疑いがある。近隣の海岸では’74年に釣り人を装った北朝鮮工作員2人が逮捕される事件も起きている。

女性たちの北朝鮮拉致事件・後編】へ続く

取材・文/岡本萬尋