連れ去りから48年! 横田めぐみさんだけではない北朝鮮が闇に葬った日本人女性の“拉致リスト”

依然、深い霧に包まれためぐみさんの消息

一方で日本政府が2004年に帰国者5人から聞き取った極秘文書(2004年6月4日付「拉致被害者に対する聞き取り」拉致被害者家族・支援室作成)には、めぐみさんに関する衝撃的な内容が記されている。

‘94年の入院前後の事情について、ある帰国者が「めぐみさんは入院前に逃亡事件を起こしているので病状が悪化したというよりは、隔離のためそこ(病院)に行ったのだろう」と語っているのだ。

関係者によるとこの「逃亡事件」は2度あったとされ、めぐみさんは招待所から脱走を図り1度目は’90年冬に平壌空港を、2度目は’94年2月に万景峰号が係留されている港を目指したがいずれも北朝鮮当局に見つかり拘束されたという。

この2つの逃亡がもし事実だとすれば、その後のめぐみさんの消息に何らかの影を落としているのか、詳細は不明だ。

一部の脱北者からはめぐみさんはその後、正恩氏ら「金正日ファミリーに日本語を教えている」との見方もあるが、厳しい精神状態から疑問視する意見も根強く’94年春以降のめぐみさんの消息は依然、深い霧の向こうにある。

〽慣れし故郷を放たれて、夢に楽土を求めたり…。拉致の8カ月前、小学校卒業式後の謝恩会でめぐみさんがシューマンの歌曲『流浪の民』のこの一節を独唱したのは歴史の皮肉だが、何よりも強調しなければならないのは、流浪の民となってしまった拉致被害者たちは決して楽土を求めてかの国に行ったのではないという事実である。

女性たちの北朝鮮拉致事件・中編】に続く

取材・文/岡本萬尋