吉永小百合には「青森行 急行十和田に乗れ」の脅迫状と100万円を要求!「草加次郎」とは何者だったのか

吉永小百合(C)週刊実話Web

【伝説の怪事件の裏側2】
昭和の後半期には『毒入りコーラ事件』(1977年)や『グリコ・森永事件』(1985年)などの劇場型犯罪が発生したが、その先駆けとなったのが昭和37(1962)年~昭和38(1963)年にかけて起きた「爆弾魔・草加次郎事件」だろう。
有名芸能人をもターゲットにした“草加次郎”とは何者だったのか? 巧妙にしてショッキングな爆破・脅迫事件の全貌を振り返る。(2回中の2回)

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警察に送られた弾丸入りの挑戦状

誰もが忘れかけていた草加次郎はまだ消えたわけではなかった。7月25日、上野署に1通の封書が届いた。裏には例のミミズの這ったような書体で「草加次郎」とあり、中にはピストルの弾丸が1発だけ入っていた。

鑑識の結果、この弾丸は同月15日に上野公園で発生した銃撃事件で使用された弾丸の線条痕と一致した。おでん屋台を開いていた男性(27歳=当時)が何者かに発砲され重傷を負っていたのである。男性は胸を撃たれており、一歩間違えば死に至る可能性もあった。

こうしてしばらくなりを潜めていた草加次郎は、警察に挑戦状を突きつけるような形でセンセーショナルに再登場したのだ。

時を同じくして、渋谷東横デパート(現・東急百貨店東横店)に500万円を要求する脅迫電話があり、渋谷署が捜査に乗り出していた。

7月24日午後4時ごろ、西館9階の男子トイレで爆弾が爆発。天井裏に乾電池とキッチンタイマーを使用した時限爆弾が仕掛けられていたのだった。

その後も執拗な脅迫が続いた。8月14日には親展と書かれた速達小包が爆発。男性職員は軽傷で済んだが、その中には次のように書かれた脅迫状が同封されていた。

「現金500万円を速達小包にして、静岡県沼津郵便局止めで送れ。警察に知らせると、今度は本格的に売り場を爆破する。命の保障はできない」

結局、デパート側は100万円を用立て、言われたとおりに対応したが、犯人からの接触はなく、連絡もそれ以降パタリと途絶えた。捜査当局によると、爆発物の構造には類似点があるものの、脅迫状の筆跡やその手口から、この犯行は草加次郎の模倣犯の可能性が高いと考えられている。