「お坊ちゃん体質、修羅場経験なしのツケが回った」安倍晋三が投げ出した“第1次政権”の問題点

まったくソリが合わなかった福田康夫

総裁選で勝利、その時点で事実上の首相が決まった安倍の“第一報”は、妻の昭恵ではなく、電話で母・洋子に報告した「お袋、やったぜ!」であった。

洋子は、先にも記したように元首相にして「昭和の妖怪」といわれた岸の長女で、その“女傑”ぶりから政界では久しく「ゴッドマザー」の声があった。

こうして成立した安倍内閣は、高い国民人気と安定した政権基盤で順風満帆に見えたが、わずか1年足らずで逆風にさらされることになるのである。とくに“致命傷”になったのは、相次ぐ閣僚の不祥事と年金問題であった。

閣僚が連発した不祥事は「政治とカネ」問題であり、なおの決定打は5000万件にも及ぶ膨大な「年金の記録漏れ」問題であった。

後者は社会保険庁の怠慢と、それを放置してきた自民党政権に批判が集中、安倍は「最後の一人までお支払いする」と宣言したが、国民の怒りは収まらず、続く参院選で自民党は大敗を余儀なくされた。

当初、安倍は参院選大敗後の世論と党内の反発をよそに、強気に内閣改造と党役員人事を断行して、政権の“延命”をうかがっていた。ところが、臨時国会の開会からわずか2日後、一転して「体調悪化」を理由に退陣を表明したのである。