「お坊ちゃん体質、修羅場経験なしのツケが回った」安倍晋三が投げ出した“第1次政権”の問題点

首相官邸HPより
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は安倍晋三(上)をお届けする。

華麗なる「安倍家」の系譜

安倍晋三は前任の小泉純一郎の退陣を受け、戦後生まれ初の首相として登場した。平成18年(2006年)9月の自民党総裁選で、時にまだ当選5回、対抗馬の麻生太郎、谷垣禎一に圧勝しての首相就任であった。

その安倍は、早くから政界で「自民党のプリンス」との声が高かった。「プリンス」のゆえんは、まず安倍家の系譜が「華麗なる一族」であった点である。

安倍が血を引く岸信介、佐藤栄作の2人は“兄弟首相”であり、晋三の父・晋太郎は毎日新聞出身の元外相、その妻・洋子は岸の長女である。

ちなみに、晋太郎は天下取りを目指していたが、志半ばで病魔に侵され亡くなっている。

一方、財界に目を向けても、妻・昭恵は森永製菓の社長だった松崎昭雄の娘であり、その松崎の妻、すなわち昭恵の母は、森永製菓の3代目・森永太平の娘である。

また、東京ガス元社長の安西浩、日本興業銀行元頭取の西村正雄、ウシオ電機元会長の牛尾治朗らは、いずれも親戚筋にあたり、昭和の芸能界で「永遠の二枚目」と呼ばれた俳優の池部良も、そうした系譜に入っているのである。

ためか、なるほど安倍の出世は極めて早かった。

森(喜朗)内閣では首相への登龍門とされる内閣官房副長官に就任、小泉の北朝鮮訪問にも立ち合った。その後、当選わずか3回で大臣未経験だったにもかかわらず、自民党ナンバー2の幹事長に異例中の異例で大抜擢されている。

当時の安倍は、若き幹事長として国民人気が高く、党内外からは「行列ができる幹事長」などと持ち上げられていたものだ。

幹事長として指揮を執った初めての総選挙で勝利、さらに小泉が仕掛けた乾坤一擲の「郵政解散」では、幹事長代理のポストで総選挙に尽力、ここでも300議席に迫る圧勝劇をもたらせている。

この総選挙後、安倍は官房長官として初入閣を果たし、その勢いを借りた形で総裁選に打って出た。結果、見事に勝利を手にしたのである。

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