南海黄金期V戦士、広瀬叔功さん死去「反野村スパイ野球」を貫いた反骨精神

「トレードがまとまったら分かるようにサインをください」

野村が去って南海の監督となった広瀬の最初の大仕事が、リリーフエース・江夏豊の処遇だった。

野村に口説かれて南海に移籍してきた江夏は、新監督になった広瀬を軽視しており、それを隠そうともしなかった。

江夏と信頼関係を作れず扱いに苦しんでいたのだろう。ある夜の酒席で「吉見、江夏をトレードに出したいんや」と広瀬がぽつりと呟いた。

事実、広瀬は仲が良かったヤクルト監督の広岡達朗と水面下で連絡を取り、ヤクルトの大砲・大杉勝男との交換トレードを企てていた。筆者は2人が都内のホテルで極秘会談することをほぼ独占で掴んだ。

広瀬と信頼関係を築いていた筆者は、会談前に「広瀬さん、トレードがまとまったら分かるようにサインをください」と頼んでいたのだが、果たして会談後に部屋を出てきた広瀬は、筆者の姿を見つけると目線で「OK」のサインを送ってくれた。

その場にいた記者は筆者だけである。翌日のスポニチは1面トップで「江夏と大杉のトレード」のスクープをぶち上げた。

しかし、結果的にこのトレードは幻となってしまう。

この取材は筆者が在籍していた大阪スポニチの独自取材だったため、東京スポニチはヤクルト・松園尚巳オーナーの裏付けコメントを取っていなかったのだ。

翌朝、このスクープ記事を見て激怒した松園オーナーは「大杉は出さない!」と断言してしまった。両監督の間で合意していたのは確実だったが、実は大杉は松園オーナーのお気に入り選手で、広岡はその関係を知らずに独断でトレード話を進めていたのだ。

その夜、トレードが失敗に終わった広瀬とスクープを逃した筆者の2人でヤケ酒を飲んだ。あの苦い酒の味を思い出した。合掌。

【一部敬称略】

「週刊実話」11月27日号より

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。