南海黄金期V戦士、広瀬叔功さん死去「反野村スパイ野球」を貫いた反骨精神

速さだけなら福本よりも上だった

広瀬の実績は間違いなくレジェンド級で、特に通算596盗塁の記録は現在でも福本豊(1065盗塁)に次ぐ歴代2位のままである。

その盗塁技術はまさに天才的で、「癖を盗んでスタートするんじゃない。直感でタイミングを掴んでスチールするんや」と口にしていた。

よく若手選手が盗塁の秘訣を質問していたが、広瀬のスチールは理屈ではなくセンスのたまもので、誰にも真似することができないものだった。

また、広瀬は盗塁数に関して「盗塁は数ではない。ここぞという場面で決める。そこに価値があるんや」という頑固なまでの哲学も持っていた。

そのせいか、当時若手で売り出し中だった福本のプレースタイルが気に入らなかったようで、試合展開にかかわらず盗塁する福本を「数字を残すためだけのスチール」と否定したこともある。

こうした発言は決して負け惜しみや虚勢ではない。広瀬がその気になればもっと多くの盗塁を記録できたことは間違いない。

同時期に活躍した野村や吉田義男らは口を揃えて「速さだけなら福本よりも上だった」と証言しており、なにより福本自身が広瀬の走塁を「神様」と尊敬していた。

ちなみに、野村は晩年にも「野球人生で出会った天才が3人いる。1人は長嶋(茂雄)、1人は広瀬、そしてイチロー」と語っている。それほど広瀬のプレーは天才的だったのだ。

ただし、広瀬の美学は野村の野球観とはとことん合わなかった。野村は当時から相手の癖を見抜いたり、配球パターンを読む野球を繰り広げ、他球団からは「スパイ野球」と呼ばれていた。

そして、広瀬はそんな野村野球に「俺は球種を盗んで打つのは嫌いや」と真っ向から異を唱えていた。

試合中にベンチから離れて球団幹部と将棋を指したり、試合途中で帰宅したり…。野村が「代打・広瀬」のカードを切ろうとした際、ベンチにいなかったこともある。出場ボイコットだ。

こうした行動は明らかに野村野球への反骨心ゆえのものだったはずだ。