いじめられっ子から人気クリエイターへ TikTok35万フォロワー・阿部洋佑が歩んだ波瀾万丈の人生と「ホラーへの恩返し」

阿部洋佑
北海道・稚内から沖縄・波照間島まで。わずか2万円を握りしめ、徒歩で日本を縦断する——。
今、TikTokで35万人超のフォロワーを抱える阿部洋佑は、かつて「リアルダーツの旅」という過酷な挑戦に身を投じていた。所持金が数百円しかない日が続く。喉の渇きに耐えかね、公衆トイレの水を飲んで凌いだ。
峠道、山道を越え、ウケないネタでも必死に笑いを取って、その日の生活費を稼ぐ。この壮絶な2年間の放浪の旅の原点には、一人の少年の「承認欲求」があった。

「お風呂場で死のうと思った」いじめられっ子だった少年時代

「承認欲求の塊でした」。阿部は、芸人を志したきっかけをそう振り返る。

小学校から中学まで続いたいじめ。母子家庭で育ち、母親も保護者間のいじめに遭っていた。小4、5の頃には「お風呂場で死のうと思ったことも」あったという。

だが、その苦しみが彼を「目立ちたい」という思いへと駆り立てた。高校でいじめがなくなると、今度は「普通のことをしたくない」という強い決意が芽生える。それが、芸人という道を選ばせた。

不安定な職業ゆえに、当初は母親に夢を打ち明けられなかった。しかしある日、母親の方から「本当は芸人になりたいんでしょ」と背中を押された。その言葉が、彼の人生を動かし始める。 

吉本での挫折…夢破れ、ダーツのプロへ

養成所は「地獄の合宿」の噂を恐れ、渡辺プロダクションを選択したが、厳しい選考を突破できず夢は一度断たれる。

転機は中学の同級生・徳泉信一(現アンチエイジ徳泉)との再会だった。フリーの劇場で漫才を優勝し、念願の吉本興業への所属を果たす。

ピラミッド式のライブシステムで一発昇格を果たすも、すぐにスランプに陥った。毎月新ネタが義務付けられる環境に苦しみ、吉本を離れることを決意する。

その後は、在籍時から続けていたダーツのプロを目指し、スポンサーを獲得するほどに上達した。だが、お笑いとの両立は難しかった。

そして彼が選んだのが、ダーツ関係者によって企画された「リアルダーツの旅」だった。