“驕り”が災いし33歳で引退を表明 4代目ミスタータイガース掛布雅之が歩んだ“転落”と“雪どけ”

久万オーナーの「呪い」と犬猿の仲の監督就任

33歳の若さでの引退は、あまりに唐突だった。掛布の下にはヤクルトや大洋から獲得のオファーが届き、敬愛する長嶋茂雄から引退を思いとどまるアドバイスもあったが、掛布は最後まで「ミスタータイガース」であることを貫いたのだ。

しかしこれ以降、掛布が阪神のユニホームを着る機会はなかなか訪れなかった。飲酒事件で久万オーナーが口にした「呪い」が続いていたことに加え、犬猿の仲と目されていた岡田彰布が一足先に阪神の監督になったことで、掛布が戻る場所がなくなってしまったのだ。

引退後の掛布は解説者として引っ張りだこ。この間、千葉ロッテや東北楽天からの監督要請も断っているのだが、それでも阪神から現場復帰の声が掛かることはなかった。

さらに、現役時代から手掛けていたサイドビジネスが破綻し、借金問題が週刊誌に報じられたこともあり、復帰はもはや絶望的とみられていた。

そんな掛布に救いの手を差し伸べたのが、久万オーナーが亡くなった翌年の’12年に球団GMに就任した中村勝広だ。

中村は「久万さんも亡くなったし、いつまでも過去にこだわることはない。阪神の大功労者だし、いつか監督をやらせたい」と球団内部の反対を押し切り、’13年に「GM付き育成&打撃コーディネーター」というポストで掛布を阪神に復帰させたのだ。

現役時代の中村と掛布は共に田淵にかわいがられており、田淵の自宅マンションで食事をごちそうになり皿洗いや窓拭きなどの家事をやる2人の姿を筆者もよく見かけていた。残念ながら中村の急死によって監督就任への道は途絶えてしまったが、中村のおかげで掛布と阪神との関係が雪解けに向かい始めた。

その後、掛布は金本知憲監督時代に二軍監督を務め、昨年には阪神OB会会長に就任している。そして、新しい時代の「ミスタータイガース」が再び誕生することを、誰よりも掛布自身が待ち望んでいるはずだ。

「週刊実話」11月6日号より

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。