“驕り”が災いし33歳で引退を表明 4代目ミスタータイガース掛布雅之が歩んだ“転落”と“雪どけ”

球団代表の自殺が引退に拍車

掛布逮捕のニュースは球団にも大きな衝撃を与えた。取り分け激怒したのが阪神の久万俊二郎オーナーで、詰めかけたマスコミの前で「大バカ野郎」「欠陥商品」「ミスタータイガースの資格がない」と掛布をこきおろし、さらに「私の目の黒いうちは掛布を監督にはしない」と宣言したのだ。

この発言は、その後の掛布の野球人生に長く暗い影を落とすことになった。

飲酒問題で大きく株を落とした掛布に追い打ちをかけるように、翌’88年は阪神内部で悲劇が起きてしまう。古谷真吾球団代表の自殺である。

この年、阪神は日本一に貢献した最強の助っ人、ランディ・バースをシーズン途中で解雇している。バースの長男が水頭症を患い、家族の治療費を負担する契約をしていた阪神は多額の医療費負担を嫌って解雇してしまったのだ(阪神は後にバースに示談金を払って解決している)。

この交渉を担当していたのが古谷代表で、阪神本社とバースの板挟みに悩んだ挙げ句、遠征先のホテルから飛び降りたとされている。

ただ、筆者は元選手の球団職員から古谷氏の自殺にはもう一つ別の原因があったと聞いている。それは掛布とバースの年俸更改を巡るトラブルだ。

「古谷さんはバースが解雇される前から別の問題に悩んでいました。実は、前年から掛布が古谷さんに対して『バースが球団一の給料を取るのはおかしい』と猛烈に抗議しており、バースを超える年俸を要求していたんです。結局、要求は聞き入れられませんでしたが、実直な古谷さんだけに耐え切れなかったのでは」

もちろん、自殺は掛布の責任ではない。掛布にしてみれば「ミスタータイガース」としての重圧を背負って積み上げた実績には絶対的なプライドがあった。個人事業主でもある選手が球団に交渉を要求するのは当然の権利だ。

ただ、それでも事件の影響は小さくなく、球団との確執は修復不可能となってしまう。さらに故障が重なったこともあり、掛布はこの年のシーズン終了を待たずに引退を表明する。