「聖域なき構造改革」が代名詞の小泉純一郎が改革できなかった聖域だらけの結婚生活

首相官邸HPより

永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は小泉純一郎(上)をお届けする。

支持率87%の異色の“独身首相”

「構造改革なくして景気回復なしッ。聖域なき構造改革をやる」

「自民党をブッ壊すッ」

「そんな公約、大したことはない。人生いろいろだ。人生には“まさか”という坂もある」

これは戦後歴代首相のなかでも、5年5カ月という4番目の長期政権を築いた小泉純一郎の、なんとも過激な言葉である。

それまでの首相は、森喜朗のように失言めいた発言をする者はいたが、多くは政治的配慮などから言葉には相当の神経を使っていた。

ところが、小泉の場合は、ときに断定調、ときに絶叫調、センテンスは短く分かりやすさは抜群で、キャッチフレーズをつくるのも巧みであった。かく、国民受けするパフォーマンスを次々に繰り出し、まさに「異色の首相」と言えたのだった。

しかし、国民はこうした小泉首相の登場をある種の期待を持って大歓迎した。平成13(2001)年4月の内閣発足時における支持率は、じつに87%(読売新聞調査)で、これは戦後内閣史上最高のものであった。

また、一方で小泉は戦後初となる「ファーストレディー」なしの“独身首相”と、こちらも異色であった。小泉は首相になる前に、離婚の経験があった。結婚したのは小泉36歳、衆院で2回目の当選を果たしたあとである。

相手は青山学院大学経済学部4年生の宮本佳代子で、小泉より15歳年下。佳代子はエスエス製薬の創業者・泰道照山の孫娘で、小泉の親戚と佳代子が知り合いだったことによる見合い結婚であった。

佳代子は高校のとき、関東女子ゴルフ選手権で優勝するほどの腕前を持つスポーツウーマン、一方で料理学校にも通う、いわば才色兼備のお嬢さんであった。

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