「聖域なき構造改革」が代名詞の小泉純一郎が改革できなかった聖域だらけの結婚生活

「落選と離婚は、1回だけでいい」

そうしたうえで、離婚は早かった。結婚生活は5年に満たず、長男・孝太郎に続いて次男・進次郎が生まれ、離婚時にはおなかのなかに6カ月目に入っていた3男・佳長がいた。

結局、孝太郎と進次郎は小泉に引き取られ、佳長は佳代子が育てることになった。離婚の真相は、いったい何だったのか。

離婚後、メディアの一部で報じられたのは、「小泉家の嫁」になることの難しさであった。小泉家は現在の進次郎で4代続く政治家の家系となるが、いわば典型的な「女系家族」でもあった。ここに、嫁として入った佳代子は、難しい立場にあったとされている。

小泉は“独身首相”について触れたメディアのインタビューで、こんなことを口にしていた。

「落選と離婚は、1回だけでいいと思っているね。離婚しない方法は何かといえば、結婚しないことだし、離婚のつらさは経験した人間でないと分からない。だから、僕はこのまま1人でいいんだ」

政治討論では歯切れのいい小泉も、男と女の関係の難しさには、ほとほと参ったようであった。

さて、離婚の「真相」だが、当時の小泉家には明文化されていたわけではないが、誰言うことなくの“嫁の条件20カ条”なるものがあったとされている。

どうやら佳代子は、この目に見えぬ「女系家族」ゆえの“20カ条”と、戦い続けていたようだったのだ。

(本文中敬称略/この項つづく)

「週刊実話」11月6日号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。