「リアルヤンキー路線」でのし上がった工藤静香はツッパリ文化が生み出したモンスターだった!

工藤静香 (C)週刊実話Web
【80年代アイドル“ツッパリ伝説”3】
清純無垢なアイドルと暴力的なヤンキーたち。相反する世界に棲息する両者はなぜあれほど親和性が高かったのか? 昭和世代が熱狂した80年代アイドルたちの“ツッパリ伝説”をプレイバックしていく。

「リアルヤンキー路線」が開花

中森明菜や南野陽子がブレイクしたツッパリ全盛の時代をすぎ、80年代も後半のバブル期に突入していくと、ヤンキーアイドルも様変わりしてくる。

「リアルヤンキー路線」ともいうべきか、街でハデに遊んでいたような等身大のヤンキー少女たちが芸能界デビュー、次々とブレイクしていったのだ。

80年代、ディスコの定番ナンバー「ダンシング・ヒーロー」のカバーで大ブレイクした荻野目洋子。インタビューで私生活をさらけ出していた飯島直子。日活の成人映画でデビューした美保純を「アイドル」のワクに入れるかどうかは、議論の余地があるかもしれない。

だが静岡の不良娘出身、芸能界デビューのきっかけも「ディスコクイーンコンテスト」の優勝という美保純が、ドラマや映画でなにかと重宝されたのは「近所のスナックにいる癒やしてくれそうなヤンキー姉ちゃん」というリアリティだろう。

見た目はワルそうだが気立てはいい「アタシバカだからむずかしいことよく分かんないけどサ~」といいながら時に芯をくった発言をするという唯一無二のポジションが、今もって大衆からもとめられているのは『あまちゃん』からの再ブレイクでも証明ずみである。

だがこの時期、誰よりリアルヤンキーから熱すぎる支持をえていたのは「北関東の姫」工藤静香だった。

ヤンキー漫画『ろくでなしBLUES』で彼女をモデルとした「工藤静香子」の婚約報道でキャラクターがショックを受ける、というエピソードがあるように、工藤静香とはヤンキーカルチャー全盛期に咲いた大輪の薔薇(紫色の)なのだ。

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