“幻のトレード”から球団史に残る1985年の日本一を達成 4代目ミスタータイガース掛布雅之の栄光

田淵幸一からの電話が「ミスタータイガース」後継者指名になった

主力打者に成長しつつあった掛布が、本格的に「ミスター」への道を歩み始めたのは’78年オフ。きっかけは阪神の大スター・田淵の電撃トレードだった。

「カケ! 次はお前だ。でも、俺や江夏(豊)のようには絶対になるなよ!」

スターになるほど疎まれ最後には放出されるという阪神球団の理不尽さを味わった田淵は、チームを去る直前、掛布にこう電話で伝えた。掛布は「お世話になりました」と短く答えたそうだが、後に筆者にこう語っている。

「あの電話から田淵さんの愛情を感じました。僕は田淵さんを見て4番の重みを教えてもらったし、ミスタータイガースの重圧を肌で感じました。4番打者としての責任を知って、初めてホームランを意識するようになったんです」

身長175センチと体格に恵まれていたわけではない。もともと中距離打者タイプだった掛布だが、田淵の後を継ぐ責任と覚悟を決めた。翌年からホームランを強く意識するようになり、新4番打者として48本塁打を放ち本塁打王を獲得した。

筆者は田淵から掛布への電話が「ミスタータイガース」の“後継者指名”になったのだと思っている。

掛布が初の本塁打王になった’79年は、江川卓が巨人に入団した年でもあった。江川が投げる剛速球に掛布が真っ向から挑んでホームランにする。その後の掛布と江川の両雄は数々の名勝負を演じたものだ。

もっとも、阪神の体質は相変わらずで、若きスターとなった掛布は球団の対応に翻弄されることになる。象徴的だったのが「幻のトレード」だ。

阪神は’79年のドラフト1位で早稲田大学のスター三塁手・岡田彰布を獲得。

掛布は積み上げた実績から「三塁手としてライバルと感じていたのは佐野(仙好)さんだけ」と意識すらしていなかったそうだが、開幕直後のケガもあって成績は低迷。そして、このシーズン終了後(’80年)に突如としてトレード話が浮上した。