宝塚トップスターとの交際は極秘中の極秘 3代目ミスタータイガース田淵幸一の私生活を初告白

西武ライオンズに電撃トレードの裏側

満面の笑みで記者団の前に現れた田淵は「一発更改です」と語り、翌日の新聞には「爽やかスターの即決更改」と報じられた。

後に某球団のスカウトは「話を聞いて腹を抱えて笑ったよ。今は100以上の項目で細かく査定しているし、どの球団でもこんなドンブリ勘定はやらないよ」と当時の阪神の体質を認めている。

スターとしての傲慢にも見える振る舞いが経営陣の不興を買ったことは否めない。1978年オフ、阪神は田淵を西武ライオンズに電撃トレードすると発表した。

表向きの理由は「成績の陰り」だったが、本当の理由は高騰する田淵の年俸を阪神本社が嫌ったためだ。また、鳳蘭との関係がまだ続いていることを疑った夫人が関東へのトレードを望んだことも影響していたかもしれない。

田淵は「俺は阪神で王(貞治)さんに挑み続けるつもりだった。まさか出されるとは夢にも思ってなかった」と悔しさを隠さなかった。

移籍した西武では見事に復活し、田淵をモデルにした漫画や映画『がんばれ!!タブチくん!!』も大ヒット。阪神ではついに届かなかった日本一を経験できたことは救いだったが、この放出劇は田淵の心に消えない傷を残した。

ファンの間では「このトレードで田淵はミスタータイガースの名前を剥奪された。生涯タイガースでなければミスターとは言えない」という論争があるようだが、筆者はそうは思わない。

グラウンドでの実績、ファンに愛された唯一無二の個性、球団に翻弄されたキャリアも含めて、まさに阪神らしい「ミスター」だったと言えるだろう。

「週刊実話」10月16日号より

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。