宝塚トップスターとの交際は極秘中の極秘 3代目ミスタータイガース田淵幸一の私生活を初告白

スピード違反も「次からは気をつけてくださいよ」」

当時の田淵は、関西では一種のセレブだった。あるとき、田淵が猛スピードで運転する車に同乗していると、後ろから追ってきたパトカーに停車させられた。

普通なら一発で免停になるスピードが出ていたが、警官は運転しているのが田淵だと気づくと急に笑顔になり、「ああ、田淵さんでしたか。次からは気をつけてくださいよ」と笑って見逃してくれたのだ。

阪神のスター選手たちは、関西ではこうした“特別扱い”をごく当たり前のように享受していた。スターがスターとして社会から扱われていた時代の話である。

「阪神の選手にはタニマチがいて、大抵のことは彼らが握りつぶしてくれた。選手たちは何をやっても大丈夫だと思うようになってしまうんだ。まして田淵はスターの中のスターだったからね」

吉田義男監督時代のあるコーチはそう溜息をついていたが、こうした環境は選手としての成長にも悪影響があった。

「田淵はルーキーからレギュラーで、村山実、江夏豊、上田次朗といった優秀な投手とバッテリーを組んだけど、ほとんど投手が主導権を持っていた。だから『俺は打てばいいんだ』とリード面で研究することがなく、成長しなかったんだ」(同)

しかも、チーム内ではスターとなった田淵を批判することは憚られ、球団も客を呼べる田淵を優遇した。象徴的だったのが複数年契約もFA制度もなかった当時の契約更改で、田淵との交渉は今では考えられないほどザルだった。

ある年、球団が提示した年俸は田淵の想定よりかなり低いものだった。田淵は「ハンコを忘れた」と粘ったが、球団側が譲歩する気配はなく、田淵はこう宣言して席を立った。

「上げてくれないならこのまま部屋を出て記者団に怒りをぶちまけます」

球団事務所の外には50人を超える記者やカメラマンが詰めかけ、スターの一発更改を今か今かと待っていた。

慌てた球団側は帰ろうとする田淵を「ちょっと待て!」と引き止め200万円を上積みした。だが、田淵は納得せず再び立ち上がる。また呼び止めて200万、さらにもう一度で計600万円が上積みされた。