「名張毒ぶどう酒事件」解明のカギ握る新証拠と2時間の空白

酒瓶には「封がされていた」との重要証言が…

また三角関係の清算が動機とされるものの当時、奥西に集落の多くの人間を巻き込んでまで犯行を強行する差し迫った状況があったとは考えにくい。

しかも農薬を入れてきた竹筒を燃やしたとされる囲炉裏の灰からはなぜか竹の燃えかすや農薬のリン成分が全く検出されていない上、80年代の第5次再審請求審では死刑判決の唯一の物証である王冠の歯型鑑定が電子顕微鏡の倍率を操作した不正鑑定である疑いすら浮上したが、同小法廷はこれらの疑問に触れていない。

そして奥西の死後に申し立てられた第10次再審請求審で2020年3月、注目すべき新証拠が明らかになった。

名古屋高裁の要請で検察側が15年ぶりに開示した供述調書に、ブドウ酒瓶は蓋とをつなぐように封緘紙で「封がされていた」という懇親会参加者3人の目撃証言が含まれていたのだ。

これは驚くべき証言だ。確定判決は捜査段階での奥西の自白に基づき事件当日、参加者が来る前に瓶の蓋を外して農薬を入れた際に封緘紙が破れたと設定しているが、目撃証言はこの前提を根底から覆す。

弁護団は製造段階とは異なるのりの成分が封緘紙から検出されたとする鑑定結果も提出しており、別の何者かが毒物を混入しいったん封を元に戻した可能性が浮上している。

そもそも(3)、事件の始まりを懇親会直前の「午後5時20分」と定め、犯行の可能性をその後の約10分間に押し込める判断には大きな疑問符がつく。

事件の全体像を俯瞰する時、犯行時間と密接に関わるブドウ酒が葛尾集落に何時に運ばれてきたのかという最大の謎に否応なく突き当たるからだ。

ブドウ酒は事件当日、集落外の酒店から農協職員のA氏が車で生活改善クラブの会長宅に運び、玄関上り口に置かれていた酒を奥西が公民館に運んだのが5時20分ごろだと明らかになっている。

確定判決は住民らの証言を基に、ブドウ酒が会長宅に届いたのは奥西が運ぶ直前であり、農薬を混入できるのは公民館で一人になる機会のあった奥西以外にあり得ないと結論付けた。

しかし事件直後の関係者の供述は大きく異なるものだった。酒店の女性は「売ったのは午後2時半から3時ごろ」とし、A氏も「2時ごろに農協を出て酒を買った。会長宅に届けたのは2時半か3時ごろ」として農協を出てからの時間経過を示す自筆のメモまで残している。