「名張毒ぶどう酒事件」の迷宮 被告人獄死、50年に及ぶ再審請求でも見えない出口

浮上した「農薬が別物だった」可能性

一審の津地裁は’64年12月、「自白は信用できず犯行動機も納得できない」として無罪を言い渡したが5年後、名古屋高裁はこれを破棄し逆転死刑判決。

’72年6月には最高裁が上告を棄却し、奥西の死刑が確定した。一審の無罪判決が二審で一転、死刑となったケースは戦後唯一とされる。

以降、昭和・平成・令和と時代をまたぎ果てしのない再審法廷が展開されていく。

半世紀以上の経過の中で、最も再審開始に近づいたのは2002年からの第7次再審請求。‘04年12月、名古屋高裁(小出錞一裁判長)は確定判決を洗い直す「事実調べ」を16年ぶりに実施し、’05年4月に再審開始決定。重い再審の扉がついに開いたかに見えた。

しかし名古屋高検はこの決定を不服として異議申し立てを行ない、名古屋高裁の別の裁判官(門野博裁判長)が’06年12月、これを認め再審開始決定と死刑執行停止命令を取り消した。

弁護団の特別抗告に対し最高裁第三小法廷は’10年4月、「さらに審理を尽くす必要がある」として名古屋高裁に差し戻したが、同高裁のまた別の裁判官(下山保夫裁判長)が’12年5月、改めて再審開始決定を取り消し。

すると最高裁も’13年10月、これに同調し特別抗告を棄却した。

奥西は第9次再審請求中の’15年10月、収監先の八王子医療刑務所で獄死(享年89)。

翌月、妹が申し立てた第10次再審請求(死後再審)も昨年1月、最高裁で退けられ弁護団は現在、第11次再審請求の準備を進めている。

それにしても、なんと気の遠くなるような裁判だろう。論点は数限りなく存在するが、本稿では、再審開始に最も肉薄した第7次請求審を基に(1)犯行に使用された農薬、(2)死刑判決の唯一の物証であるブドウ酒瓶の王冠、(3)犯行時間――の3点に絞って事件を再検証する。

まず(1)、犯行に使われた農薬の謎だ。

第7次再審請求で弁護団が提出した新証拠5点のうち、最高裁が後に「証拠評価に疑問があり審理が尽くされていない」と認めたのは、犯行に使われた農薬は奥西が自白した「ニッカリンT」だったのかという点。

農薬が別物だったとなれば、確定判決や過去の再審請求審が有罪認定の根拠としてきた自白の信憑性が根底から崩れる最大の焦点の部分だ。