「名張毒ぶどう酒事件」の迷宮 被告人獄死、50年に及ぶ再審請求でも見えない出口

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「名張毒ぶどう酒事件の迷宮・前編」
ジャーナリストの岡本萬尋氏が、事件の謎に迫る「シリーズ戦後未解決事件史」。近年、注目が集まっている再審請求――その中でも検察と弁護団の攻防が際立ち、世間の注目を集めた「名張毒ぶどう酒事件」(1961年発生)の闇をお届けする(全2回中の1回目)。

懇親会のブドウ酒を飲んだ女性5人が死亡

近年、ひとたび有罪の判決が確定したり、警察・検察が逮捕・起訴した事件の誤りが次々に白日の下に晒されている。

再審無罪が確定した「袴田事件」(事件発生1966年)、「福井・女子中学生殺害事件」(同1986年)、「滋賀・湖東記念病院事件」(同2003年)、そして無実の人々を1年近く拘束した末に起訴が取り消された「大川原化工機事件」(同2020年)…。

警察権力の、そして司法の正義が根底から揺らいでいる。

戦後史の視座で見れば、再審により無罪が確定した元死刑囚は、先の「袴田事件」の袴田巌を含めて5人いる。だが、ここに6人目として加わったかもしれない男の話をしたい。

半世紀以上も無実を訴え続け、一度は再審の扉をこじ開けながらついに叶わず獄死した「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝元死刑囚(1926~2015)である。

これまで計10回、50年を優に超えた再審法廷は、まるで海図を失った漂流船さながらに司法の隘路を彷徨い続けた――。

まだ、ワインという呼称すら一般的ではない時代だった。

事件は1961年3月28日夜、奈良県との県境に近い山深い集落、三重県名張市葛尾地区で起きた。

公民館での住民組織「生活改善クラブ」の懇親会に出されたブドウ酒に有機リン農薬が混入され、飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状を起こしたのだ。

翌月、三重県警は同会会員の奥西勝(当時35歳)を逮捕。奥西はいったん「(ともに事件で犠牲になった)妻と愛人との三角関係を清算しようとした」と犯行を自白したものの起訴直前に否認に転じ、その後は一貫して無実を訴え続けた。