「王貞治からホームラン王を奪う」阪神入団拒否から3代目ミスタータイガースに上り詰めた田淵幸一の矜持

阪神タイガース90周年記念特設サイトより
ぶっちぎりでリーグ優勝を果たした阪神タイガース。チーム一丸となってのVだが、どこか物足りないのは掛布雅之以降、「ミスタータイガース」と呼ばれる超スター選手がいないこと。3代目ミスタータイガース・田淵幸一の実像を、公私にわたって親交のある元スポニチ担当記者・吉見健明氏が明かす。

田淵幸一を獲得するのは巨人と信じて疑わなかった

3代目ミスタータイガース・田淵幸一の球歴は最初から波乱に満ちていた。阪神に指名された1968年のドラフト会議では、田淵を獲得するのは巨人と誰もが信じて疑わなかった。

東京六大学野球で長嶋茂雄の持つ本塁打記録を破った田淵はドラフトの目玉で、巨人とも相思相愛のはずだった。当時の球界では巨人が欲しがっている選手を他球団は指名しないというのが暗黙の了解となっていた。

しかし抽選の結果、田淵の交渉権を手にしたのは阪神タイガースだった。王貞治の後継者として後楽園球場でプレーする未来を思い描いていた田淵にとって、阪神の指名は全くの想定外。本人は「金槌で後ろから頭を殴られたようだった」と言っていたが、ドラフト当日の暴れようはそんな生易しいものではなかった。

手当たり次第に部屋を破壊し、必死になだめようとした筆者を流血させたほどだった。

それでも最終的に阪神入団を決意したのは父・綾男氏の存在が大きかった。毎日新聞社系の要職にあった父親は「読売に行くなら自分は辞表を出す」として息子を説き伏せた。田淵は「父を困らせるわけにはいかない」と観念し、阪神入りを受け入れたのだ。

契約金は破格の7000万円。当時の契約金上限は1000万円だが、こうした裏金が当然のように飛び交っていた時代だ。田淵の母親が大金を銀行に預けに行く際は筆者がボディーガード役を務めている。

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