植民地支配へ「心からのお詫び」を明記 内閣支持率20%から40%に上昇させた小渕恵三の手腕

連立解消後に脳梗塞で帰らぬ人に

平成12年4月1日、小渕は自由党・小沢、公明党・神崎武法との3者による党首会談で決着を目指したが、ここでも小沢が譲らず、ついに小渕は煩悶のすえ、自由党との連立解消を決断せざるを得なかった。

その会談後の記者会見のさなか、小渕は突如として体調に異常をきたし、その夜、官邸内で倒れた。密かに順天堂大学病院に運ばれたが、すでに回復の見込みが薄い重度の脳梗塞であった。

結局、小渕は意識が戻らぬまま同年5月14日、入院先で死去した。享年62の“若さ”であった。

小渕は生前、よく口にしていたという。

「人の良いところだけ見るのが一番いいようだな」

政治家として小渕は、ちょっぴり人が好すぎたきらいがあった。

(本文中敬称略/次号は森喜朗)

「週刊実話」10月2・9日号より