純烈の3人がメンバー脱退、スキャンダル発覚を振り返る…7年連続紅白出場への道のり

純烈 (C)週刊実話Web

9月5日に映画『純烈ドキュンメンタリー 死ぬまで推すのか』が公開される。それに先立ち、歌謡コーラスグループ「純烈」に突撃インタビューを敢行。作品の見どころはもちろん、元メンバーへの思いや、初の日本武道館公演の舞台裏などをたっぷり語っていただいた。 

「ついに紅白に出られたと思ったらスキャンダルで謝罪会見」

──純烈3作目の映画が、まさかドキュメンタリーとは。
酒井一圭(以下、酒井)「元々はスペースシャワーTVで放送された初の日本武道館公演『純烈魂』(2024年11月)を紹介する番組で、自分らもその感覚で撮られてる意識はあったんですが、まさかお客さんの“その後”まで密着しているとは知りませんでした」

──あまりの面白さにビックリしました。
酒井「僕も度肝を抜かれたよね。ファンのみんなの熱さと、みんないろんな人生がある中で、地道に一生懸命応援して下さってるんだなあ…と、染みましたね」

──『純烈魂』に演出されたスーパー・ササダンゴ・マシンさんが、「奇跡のように続いている。それを物語にしたい」とおっしゃっていましたね。
酒井「本当に全部奇跡で。撮影中の事故で骨折して('07年)、夢に何度も出てきた前川清さんの啓示でムード歌謡をやろうと考えて、紅白歌合戦を目指そうとメンバーを口説き…、と常に当てがない。
わらしべ長者のように、出会う人、出会う人に『紅白に出たい』と尋ねて回って、ついに紅白に出られたと思ったらスキャンダルで謝罪会見。
コロナ禍があったり、メンバーの加入・卒業があって6人から3人になってね。何がどうなってこうなったのか、自分でも分からないのよ」

──転機はいろいろあったと思いますが、まずムード歌謡というのは斬新でした。
酒井「僕も子役からやってますからね。音楽賞の傾向は分かりますし、全部解析したうえで、イケメン枠は難しくてもムード歌謡ならまだイケるやろ、と。
たまたまムード歌謡にぴったりな声の白川もいて。カラオケに行ったときから『コイツの声は絶対に歌謡曲向きやな』と、ピンときてましたよ」

白川裕二郎(以下、白川)「僕は'02年に『忍風戦隊ハリケンジャー』(テレビ朝日系)でデビューして以来の付き合いになりますが、突拍子もないことを言うのは昔から変わってないです。
相談事が3日後には周りに広まる口の軽いところはありますが(笑)、当時から付き合い方は同じですね」

酒井「いざ結成となったときに、呼び出したファミレスで開口一番『お前、ムード歌謡って分かる? やったら紅白やがな!』と」