阪神の「ミスター」は名誉であり呪いだった 2代目ミスタータイガース村山実の実像

2000万円提示の巨人を蹴って阪神に入団

2代目ミスタータイガースの村山実は、「ザトペック投法」と呼ばれた全身を使ったダイナミックなフォームで活躍し、通算防御率2.09、222勝の大投手。闘志あふれる村山の投球は常に全力だった。

村山のプロデビュー戦は1959年3月2日に行われた対巨人のオープン戦(甲子園球場)だったが、偶然にもこの試合は藤村富美男の引退試合であったのも象徴的だ。村山は入団前から「ミスター」を継ぐにふさわしいスターだった。

関西六大学野球で大活躍し全球団から入団の誘いを受け、中でも熱心だったのが巨人で当時としては破格の契約金2000万円を提示された。

しかし、村山はその4分の1の500万円を提示した阪神に入団した。これは関西大学でケガをした時期に、阪神のスカウトだけが親身になってくれた恩義に報いるためだった。

1年目からローテーション入りした村山は18勝を挙げ、沢村賞を受賞する大活躍。中でも大きな契機となったのが、6月25日に行われた宿命のライバル・巨人との天覧試合だ。

村山はこの試合でリリーフ登板しており、最終回にプロ2年目の長嶋茂雄にサヨナラホームランを打たれたのはあまりにも有名なシーンだ。

しかも村山は生涯、「あれはファールだった」と語り続けた。天覧試合を汚してはならないという思いからその場では抗議しなかったそうだが、それでも後悔があったのだろう。これは単なる負け惜しみではなく、同世代のスターである長嶋に対する村山の意地だった。

天覧試合以降、長嶋を擁する巨人を相手に全身全霊の投球で勝負を挑む村山の活躍に阪神ファンは熱狂し、「ミスタータイガース」として認められていった。

村山はよく言えば責任感が強く負けず嫌い。悪く言えば極度の意地っ張りだった。