統一地方選で敗北、円高への無策批判で“ミイラ政権”に 異端の政権・村山富市を支えた家族愛

村山富市(首相官邸HPより)
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は村山富市(下)をお届けする。

次女が事実上のファースト・レディに

首相に就任した村山富市は東京に自宅を持つわけでもなく、官邸内にある公邸で暮らしていた。

時に、70歳。降って湧いた首相就任だっただけに、家具の運び込みもなく、初日に持ち込んだのはスーツケース1つと布団だけであった。

スーツは部屋にハンガーでつるし、布団の上げ下ろしから下着の洗濯まで、しばし村山は自分でやっていた。一国の天下人ながら、その生活は下宿の大学生か単身赴任のオトーサンに似ていたのである。

しかし、首相として分刻みのスケジュールに加え、高齢のため何かと不自由は付きまとう。

公邸暮らし約1カ月後、ここで見かねた村山の次女・由利さんが同居し、身の周りの世話から外遊への同伴と、公設第一秘書の肩書で事実上の「ファースト・レディ」を務めることになった。

一方、妻のヨシヱ夫人は村山の選挙でも、ほとんど人前に出ることはなく、地元の大分県大分市で働き詰め、議員としての村山を支え続けた。まさに、苦労を重ねて頑張り抜いた「糟糠の妻」であった。

ちなみに、村山は漁師の父のもと、大分市で生まれている。14歳のときに父が亡くなり、小学生の頃から海に出ていた。

苦学をしながら、明治大学専門部政治経済科を卒業、明大で民主化運動に足を突っ込み、これが縁で社会党に入党している。

社会党青年部長当時に、大分市議選に引っ張り出されたのが、政治家人生のスタートであった。

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