統一地方選で敗北、円高への無策批判で“ミイラ政権”に 異端の政権・村山富市を支えた家族愛

「私は妻に支えられて、ここまで来たのだ」

その後、村山が首相になった直後の平成6年(1994年)10月の臨時国会で、野党からヨシヱ夫人による2000株の購入話が持ち出され、「株購入の背景に疑惑あり」と噛みつかれた一件があった。

そのとき答弁に立った村山は、日頃の温厚さから一変、声を荒げてこう言った。

「私は貧乏を売り物にしているわけではないが、妻の名誉のためにも、明け方から夜更けまで30年間も働いてきたことを申し上げる。私はそんな妻に支えられて、ここまで来たのだ」

株の購入に疑惑ありなど冗談ではない、と一蹴してみせたのである。

そうした村山政権は発足翌年の4月、足元の社会党が統一地方選で敗北を喫した。

よって立つ党内のゴタゴタが目立つ一方で、折からの円高に対する無策批判も加わり、このあたりで村山自身も政権維持の気持ちが萎えていく。

米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』の「無気力な対応しかできぬ村山政権は、もはや“ミイラ政権”と言うほかない」といった報道が、それを後押しすることにもなった。

首相在任中、村山とヨシヱ夫人は、毎日欠かさず電話で連絡を取っていたそうである。ここでも、夫婦仲の良さがしのばれた。

夫人に代わって「ファースト・レディ」を務めた次女の由利さんは、新聞のインタビューで、こんなエピソードを披露している。

「(父とは)ふだん政治の話をしませんが、“自衛隊合憲”に踏み切ったとき、思わず『どうしちゃったの。本当にこれでいいの』と話しかけたんです。父からは、『まぁまぁ』とあしらわれましたけど…」

まずは“異端の政権”をこなした村山ではあったが、惜しむらくは将来の国家ビジョンを提示しないまま、その任務を終えたのだった。

(本文中敬称略/次回は橋本龍太郎)

「週刊実話」8月21・28日合併号より

小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。