ブル中野、日本人初のWWE殿堂入りに「いつか評価していただけるだろうと思ってました」

「私は心の中を見せてる、そんな薄っぺらいもんじゃない」

ブル中野
――現役当時は先輩の長与千種さんをはじめ井上貴子さん、豊田真奈美さんといった後輩のアイドルレスラーもたくさんいたわけですが、どんな目で見ていたのでしょう?
中野「別物だと思ってましたね。悪役になったことは正直すごく嫌でしたけど、それだけでは終わらないぞと思っていましたし」

――確かに、後に中野さんの時代が来ました。
中野「当時のアイドルレスラーは、売れてくるとだいたい歌を出すか脱ぐんですよ(笑)。そこは(やらずに済んで)よかったです。
やっぱり写真集とかを出すと、いやらしい目で見に来る人が目に見えて増えるんですね。そういうときはプロレスをしつつも、相手の体を借りながらお客さんと戦っていました。
『私は心の中を見せてる、そんな薄っぺらいもんじゃないんだぞ』って」

――熱いですね。プロレスファンの心を掴みそう。
中野「当時のファンの方は今でも私のことを応援してくれてます。ただ、あの頃の私は115キロありましたが、ダイエットして痩せてる今の私は好きじゃないらしいんですよね(笑)」

――引退後はプロゴルファーを目指しますが、実は13年ほどの“失踪期間”があったそうですね?
中野「失踪というか、正体を隠してゴルフ場で練習をしながら働いていたんです。でも、どうしてもバレてしまい、注目されちゃうんですね。
まだ始めたばかりなのに、うまくなくちゃいけないし、すごく飛ばさなくちゃいけないと、余計なプレッシャーがかかってしまって。日本のどこにいてもこうなるなら、アメリカに行こうと。
10年ほど向こうでプロを目指しましたが、プロテストには合格できずに帰国しました。ブラブラしているときにダイエットを兼ねてムエタイのジムに通い、そこで夫と出会うんです。もちろん、彼にもブル中野だったことは最初は内緒にしていました」

――メディアに出るようになったきっかけは?
中野「その夫が『いろいろ頑張ってた時期があって今があるんだから、隠す必要はないんじゃない?』という言葉に後押しされました。
’11年にお店(『ガールズ婆バー・中野のぶるちゃん』。現在は閉店)を始めたのがブル中野“復活”の最初になりました」

「週刊実話」8月21・28日合併号より

取材協力/「スポーツバー ハーフタイム」(ホテルウェルコ成田)

ブル中野(ぶるなかの)

1968年1月8日生まれ。’83年全女に入門。ダンプ松本から極悪同盟に誘われ悪役に転向。現在は講演会やサイン会、プロレス解説などで活躍。夫は元格闘家の青木大輔氏。2021年YouTubeチャンネル『ぶるちゃんねる』を開設し、往年の名選手や現役選手へのインタビューを配信している。X:@bullnakano_