47年ぶりの社会党首相・村山政権誕生の裏にあった自民党の策謀

村山富市(首相官邸HPより)
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は村山富市(上)をお届けする。

就任中に阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が発生

羽田孜政権が64日間という超短命の“三日天下”で崩壊したのち登場したのが、この村山富市政権であった。平成6年(1994年)6月である。

時に、村山は社会党委員長。社会党からの首相就任は戦後間もなくの片山哲以来、じつに47年ぶりであった。

それだけに、村山自らが「歴史的役割と任務があると意義づけた」(『私の履歴書』日本経済新聞社)くらいだから、まさに「歴史的政権」の誕生と言ってよかった。

村山政権が誕生した裏には、政権奪取に執念を燃やす自民党の手の込んだ策謀があった。

社会党の村山を自民、社会、新党さきがけの3党連立の首相に推すという“奇策”の一方、この際、社会党には従来の路線から大きく政策転換をしてもらおうという狙いである。村山はこうした自民党の執念、要求を、あえてのんだということだった。

村山政権になって、なるほど「事件」は次々と起きた。

村山は国会で「日米安保条約の容認と堅持」「自衛隊は合憲」「日の丸・君が代の尊重」をまず答弁し、それまでの非武装中立路線、「護憲」の旗を降ろしてしまった。

さらに、政権発足から半年ほど経過した平成7年1月に「阪神・淡路大震災」、3月には「地下鉄サリン事件」が発生し、いずれも多数の死傷者を出した。

しかし、とくに阪神・淡路大震災では初動の救済活動の遅れが目立ち、「官邸の危機管理能力の欠如」が批判にさらされた。

記者会見で自衛隊派遣の遅れを問われると、村山は「なにぶん自分には初めてのことで…」と答え、認識の甘さを露呈した。

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