「長嶋茂雄がいたから巨人は球界の盟主に君臨した」田淵、浩二、富田、星野、同世代の選手も憧れたミスターの素顔

人生初「ミスター発のスクープ」を報道

ミスターを正面から取材できるようになってこそ一流の記者だと心に決め目標にした。

若手記者時代は南海や阪神といった関西球団の担当だったため、なかなか接点はなかった。

実際に取材できるようになったのは長嶋が監督になってからのことだ。短い期間ながら巨人を担当することになり、毎日のように後楽園球場へ通った時期がある。

ある真夏の午前中、取材を終えて後楽園球場の記者席に行くと、誰もいないグラウンドの外野フェンス沿いを上半身裸で黙々と走る人影が見えた。

監督の長嶋だった。汗だくでランニングを終えた長嶋は記者席にいた筆者に気づくと笑顔で手招きし、監督室でクールダウンの「ストレッチを手伝ってほしい」と声をかけてくれたのだ。

「いやあ、今日は午前中に(鈴木竜二セ・リーグ)会長に会ってきたんだ。来月からナイターは7時開始になると言ってたよ」

雑談交じりに聞いた話が記事になった。紙面では小さな扱いだったが、それでもれっきとした独自情報で、これが人生初の「ミスター発スクープ」となった。

その後、すぐ巨人担当を離れて大阪に戻ることになるが、時折、取材に行っても優しく対応してくれるようになった。無名の若手記者にも分け隔てなく接してくれる、まさに“ミスターの器の大きさ”だった。

【一部敬称略】

「週刊実話」7月24・31日合併号より

長嶋リハビリ秘話 前編(3)】へ続く

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。