田形友幸が“バーグマン田形”になるまでの軌跡「ハンバーグは好きだけど特別な思い入れはなかった」

バーグマン田形 (C)週刊実話Web
村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前までにやっておくべきこと」、今回はバーグマン田形のインタビュー(中)をお届けする。『静岡ハンバーグ王国プロジェクト』のプロジェクトリーダーであり、『一般社団法人日本ハンバーグ協会』の理事長でもある同氏は、令和の現代に“第4次ハンバーグブーム”を巻き起こした第一人者である。

『さわやか』の「げんこつハンバーグ」に衝撃を受けるも…

ハンバーグ革命家、田形友幸は1974年に静岡県は牧之原市静波に生まれた。

どこまでも広がる茶畑と静かな海岸線。自然に囲まれた温暖な気候の町には、4年前に誕生したファミリーレストラン『すかいらーく』や翌年の『マクドナルド』の熱狂など、テレビの向こうにある都会の話だった。

小学生の頃、隣町の大井川町(現・焼津市)にあったゲームセンター併設の名前も知らないカフェテラスで、ハンバーガーというものを初めて口にした。衝撃だった。これがウワサに聞くハンバーガーなのか。しかし、田形はまだバーグマンにはならない。

中学2年生になって、藤枝市に引っ越した。この町にあったのが、静岡をハンバーグ王国たらしめる県重要文化財『炭焼きレストラン さわやか』だった。

炭火で焼かれる牛肉100%の名物「げんこつハンバーグ」が目の前でカットされる。

溢れ出る肉汁、オニオンソースでダダ洩れる多幸感に人生をひっくり返されそうなショックを受けたが、これでもまだ田形はバーグマンにはならない。これでもならないのか、田形。

「このときの初体験はとにかくすべてに衝撃を受けました。これ以上の衝撃は、大学で埼玉に住んだときも、東京で働いていたときもなかったですね。
…いや、2020年に第4次ハンバーグブームの火付け役となった『挽肉と米』を初めて食べたときも衝撃的だったな。
あと、つい最近、取材拒否を喰らった愛知県某所にある会員制のハンバーグも衝撃だったなぁ…」

結構ある。いや、ない。田形は1日1食必ずハンバーグを食べているのだ。その絶対数からいえば、それだけのハンバーグに出会える確率は数少ない。