消費税廃止、政治とカネ、コメ輸入…政治改革を迫られた細川護熙政権“退陣”までの舞台裏

細川護熙(首相官邸HPより)
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は細川護熙(下)をお届けする。

「政治とカネ」問題をスピード解決

細川護熙政権の滑り出しはそれまでの歴代首相とは一変、なんとも軽妙にして、かつ華々しいものであった。

例えば、夫婦で飛行機のタラップを降りる際の仕草ひとつ取っても、下で待ち受けるカメラマンに向けてさりげなく夫人にマフラーを巻いてみせるなど、細川は極めてパフォーマンスに長けていた。

また、改築前の官邸執務室から記者会見場に向かう際も、それまでの首相は渡り廊下を使ったが、細川はわざわざ玄関から前庭を通って会見場に足を運び、テレビに撮らせる工夫をしていた。

それは雨に見舞われた首相就任の初日から、実行されていたのである。こうした“細川流”に、世論は好感を持って「新人類」首相を迎えたのだった。

一方で、細川内閣に与えられた最大のテーマは「政治改革」であった。

具体的には竹下登政権以来、引きずってきた「政治とカネ」問題の根源である衆院の選挙制度を小選挙区比例代表並立制に変える改革である。

細川は首相就任直後の平成5年(1993年)8月、残りわずか4カ月しかないなかで「今年中にそれを成し遂げられなければ責任を取る」とまで明言して、複雑な政治力学をまったく無視した印象を与えた。

結局、この政治改革法案は、細川と比較第1党・自民党総裁の河野洋平が修正協議のうえ、年を越した平成6年(1994年)3月に「政治改革4法」として成立した。

衆院の小選挙区選出300人、全国ブロックの比例区選出200人の並立制が導入され、同時に今日も続いている国が政党に、年間300億円余の資金を支出する政党助成法が制定された。