消費税廃止、政治とカネ、コメ輸入…政治改革を迫られた細川護熙政権“退陣”までの舞台裏

税率7%の「国民福祉税」構想

さらに、細川政権はこれに先立つ平成5年12月、GATT・ウルグアイ・ラウンド農業交渉で、コメに関する貿易の国内市場を部分開放することで合意、国内消費量の4〜8%を段階的に輸入するとした。日本国内のコメ生産者の猛反対のなかでの決断であった。

かく細川は、ひとまずスピード感をもって、自民党政権時代からの大きな懸案を2つ片づけてみせたのである。

ところが、政治家としての未熟さが、政権の命取りとなった。

躓きの最初は平成6年2月3日未明、突然、記者会見を開き、「消費税」を廃止して新たに税率7%の「国民福祉税」構想なるものをブチ上げたことにあった。

しかし、翌日、さっそく連立与党を組む社会党、新党さきがけが「これでは実質的な消費税率の大幅引き上げになる」と猛反発、ところが、これを受けて細川はなんともアッサリと構想を撤回してしまったのである。

あとで明らかになったのは、当時の新生党代表幹事だった小沢一郎(現・立憲民主党)が、大蔵省(現・財務省)の口車に乗って細川に焚きつけたものであった。

細川自体は記者会見で「7%」の数字の根拠を問われても、「腰だめ(余裕)も見込んで」と答えるばかりで、具体的根拠のない数字であることを事実上、露呈したのだった。

そうした一方で、細川は自民党、共産党の野党から追及されていた東京佐川急便をめぐる「1億円借金」と、その使途の釈明に行き詰まった。

さらにまた、オレンジ共済事件に巻き込まれた形で新たな金銭疑惑も噴出し、万事休すとして「国民福祉税」のブチ上げからわずか2カ月後の4月8日、細川は突然の退陣を表明するのである。