旧ジャニーズ性加害問題 元Jr.男性が訴える「証拠があっても救われない」現実

「顔出しでの実名告発も辞さない覚悟を固めております」

問題の本質は証拠の有無というよりも、補償側が、どのような根拠で証拠性を否定し、補償から除外しているのか、そのプロセスと判断基準が極めて不透明であることだろう。

証拠を出していないのではなく、出しても証拠として認められないことと戦っているのである。
 
もし制度が十分に透明で、公平で、双方向のコミュニケーションが取れ、なぜ除外されたか納得のいく説明があれば、裁判にまで至らなかったかもしれない。

さらに一部では“仮名で訴えるのは信憑性に欠ける”といった声も聞かれる。

しかし、性被害における仮名訴訟は国際的にも認められた人権保護の手続きであり、鈴木氏は名前を伏せることで加害構造の二次被害から身を守っているに過ぎない。

重要なのは名前ではなく、どのような証言がなされ、それがどう扱われているかにあるはずだ。

鈴木氏は「もし私がこのまま救済されないのであれば、イギリス・BBCのジャニーズ性加害問題追及番組の第三弾や、この問題の世界公開の映画版にて、顔出しでの実名告発も辞さない覚悟を固めております」とも語っていた。

この問題でもうひとつ問われているのは、声を上げることが再び傷つくことに繋がる社会の構造そのもの。加害の構造とともに、救済の不可能性を生む無関心と偏見も見つめるべきではないだろうか。

取材・文/週刊実話Web編集部

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