元横浜ベイスターズ“ドラ1”細見和史が野球人生を振り返る「なんで僕がプロに入れたのかは…分からない」

細見和史 (C)週刊実話Web
村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前までにやっておくべきこと」、今回は細見和史氏のインタビュー(中)をお届けする。同氏は横浜ベイスターズにドラフト1位で入団し、2004年に引退。民間企業に再就職し、その後人材育成、健康サロン事業などを手掛ける会社を設立している。

「高卒でプロに行けるとは思わなかった」

「真面目にやらなきゃいけない。ずっとそう思って生きてきました。でも今思えば、プロ野球の世界では、真面目だけじゃなくて“あそび”の部分も持たなきゃダメだったんだろうなって。
野村弘樹さんや谷繁元信さんたちを見ていてもね、オンとオフがしっかりあるんです。ただ、スイッチが入ったときの集中力は僕の100%なんか足元にも及ばない。
僕は野球も勉強も余裕がなかった。これは生まれつきの性格だからしょうがないんでしょうけどね」

細見和史は1973年、京都府に生まれた。小学生で野球を始め、高校は公立の北嵯峨高校へ。

3年生でエースになると、夏の京都大会では6試合中4試合を完封。自責点0のまま甲子園出場へ導いた、言うなれば傑出した才能の持ち主。プロに進むべき、選ばれた人間であるように思える。

「いやぁ…そんなにたいした選手じゃないですよ。プロ野球は目指してはいましたけど、そんな突出した選手ではなかった。自分なりに練習はしてきましたけどね。
甲子園に無失点で出場したとはいえ、前年に優勝した平安との準々決勝で相手エースが6連続押し出しを含む10失点で勝つなど、幸運な部分もあったんですよ。
でも、高卒でプロに行けるとは思わなかった。調査書が届いて、『俺、そんなレベルだったの?』と驚いたぐらい(笑)。
本当にプロを意識した取り組みをし始めたのは、同志社大学に入ってからですね」

大学では野口真一・石井智監督、布施健次コーチの下、重いストレートとスライダー、カーブを四隅に投げ分ける制球力を磨き、関西学生リーグ通算18勝、238奪三振、防御率2.02という素晴らしい成績を残した。

2年生の秋にはリーグ優勝に貢献し、4年の春には4勝を挙げて最優秀投手賞を獲得。横浜ベイスターズを逆指名してドラフト1位でプロの世界へと羽ばたいた。