元横浜ベイスターズ“ドラ1”細見和史が野球人生を振り返る「なんで僕がプロに入れたのかは…分からない」

「運が良かったのか、星の導きがあったのか…」

細見和史 (C)週刊実話Web
「以前に野球人口からプロ野球選手になれる確率を調べると0.03%ぐらいだった。僕は本当にそんなにたいした選手じゃなかったんですよ。ただ『プロになれる』と信じて疑わなかった。だからなれたと思っていました。
今、見ている子供たちも9割が『プロ野球選手になりたい』って言います。だけど、なれる確率はその数字です。同じ世代で並走して『こいつ早く諦めろよ』と思いながらずっと走っていく。最後まで忍耐強く追いかけ続けられるかどうかなんです。
それでもなんで僕がプロに入れたのかは…分からない。それだけのことはやってきたとは思うけど、運が良かったのか、そういう星の導きがあったのか…」

大卒の即戦力投手として期待を受けた細見だったが、入団から4年間で一軍登板機会はわずか1イニングと力を発揮できずにいた。

「今年ダメならもうクビだろう」という崖っぷちに追い込まれた2000年7月20日の広島戦。4年ぶりの1軍、プロ初先発で6回を無失点に抑えた細見はプロ初勝利を挙げ、お立ち台の上で涙を流すと、この年の後半戦だけで10試合に先発して5勝を挙げ、ようやくプロで開花したかに思えた。

「4年目まではプロでやるだけの力がなかったんですよ。4年目にヘルニアの手術もありましたが、僕自身ドラフト1位のプライドもあってファームで打たれているのに『なんで使わねえんだ』って(笑)。
結局、素直じゃなかったし、人の意見を聞けなかった。変わんなきゃダメだと、死に物狂いになれたのが5年目。前半戦最後の試合で一軍初先発して、なんとか勝つことができた。
お立ち台で『長かったですね』と聞かれて、それまでの日々が走馬灯のように流れてね。恩師の布施さんは、僕がファームでくすぶっている間に亡くなっていました。
いつも応援していてくれた布施さんに初勝利を見せてあげられなかった無念を思うと涙が止まらなくなってしまって。まぁ、『ヒーローインタビューで泣く奴は大成しない』って、その通りになってしまったんですけどね(笑)」

細見はこの年の5勝を最後にプロ野球の世界で勝つことはできなかった。