田中角栄とは「水と油だった」超エリートの宮澤喜一が72歳まで首相になれなかったワケ

退陣後「党との関係は面倒だった」と恨み節

当時、取材をした竹下派担当記者は言っていた。

「どうやら小沢は、ここで3人から新政権発足時の党3役(幹事長、政調会長、総務会長)、重要閣僚人事を質したようだ。
3人はいずれも60代から70代、小沢はまだ40代であったことから、党内からは『若造が何様だと思っているのか』といった批判が出る一方で、竹下派支配による“権力二重構造”を生々しく垣間見せた場面だった」

結果、11月5日に宮澤内閣が成立したが、なんと党3役、閣僚人事とも、事実上、竹下派に任せるということになった。

プライドが人一倍高い宮澤は、のちに2年足らずの政権を振り返って、こう憤懣を漏らしている。

「党との関係では違和感が意外とあった。まあ、内閣だけをやらせてもらったらそんなに難しくなかったが、党との関係はなかなか面倒だった。総務会で議論するような出来事、例えば目指した政治改革がそうだったし、予測もコントロールできず、なんとも厄介なものでしたな」

孤高の宮澤による発言の真意は、「泥臭いやり方をしやがって」という恨み節でもあったのである。

(本文中敬称略/この項つづく)

「週刊実話」6月19日号より

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小林吉弥(こばやし・きちや)

政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。