宮澤喜一は財務省でも飛び抜けた秀才であった 田中角栄が「二度と酒を飲みたくない」と吐露

宮澤喜一(首相官邸HPより)
永田町取材歴50年超の政治評論家・小林吉弥氏が「歴代総理とっておきの話」を初公開。今回は宮澤喜一(上)をお届けする。

「よほど的確な質問をしないとバカにされますよ」

「小林さん、いまの質問はこういうことでしょうか」

昭和61年(1986年)某日、筆者は中曽根(康弘)内閣で大蔵大臣(現・財務大臣)に就任していた宮澤喜一にインタビューした思い出がある。

場所は東京・港区赤坂の日本自動車会館内にあった宮澤の個人事務所である。

時に、宮澤67歳。すでに池田(勇人)、佐藤(栄作)両内閣で経済企画庁長官や通産大臣を務め、その後の三木(武夫)内閣で外務大臣、福田(赳夫)内閣でも経済企画庁長官、鈴木(善幸)内閣で内閣官房長官と要職を歴任、自民党内では宏池会の会長にも就任して、早い時期から「ニューリーダー」として存在感を示していた人物であった。

さて、筆者は宮澤に会う前に、宏池会の担当記者から「よほど的確な質問をしないとバカにされますよ」と“忠告”を受けており、かなり質問には神経を使ったものだったが、案の定というべきか、冒頭のように話の途中で切り返されたのである。

通例、ある程度のキャリアを積んだ議員であれば、若いインタビュアーなどの未熟さをカバーし、適当にまとめて答えてくれるものだが、宮澤は逆に何を聞きたいのかを鋭く質問してくる人物だった。

こうした宮澤という政治家の“難しさ”は、彼のとてつもない頭脳の明晰さに起因していた。

並み居る省庁のなかでも「エリート中のエリート」とされている財務省だが、その「省史」をひも解いてみると2人の飛び抜けた秀才の名が出てくる。

のちに首相となる福田と、この宮澤である。