元『アパッチ』アコが清水健太郎への淡い恋心を告白「お家に呼ばれたこともあるんです」

アコ (C)週刊実話Web
昭和歌謡では一時期「三人組」が大流行したことがある。その1つがミニスカートから覗く太ももを売りにした『アパッチ』。デビュー曲の『ソウルこれっきりですか』はオリコン2位の大ヒットとなり、昭和歌謡史に初めて登場したメドレーソングでもあった。
アコはそのセンターを務め、『8時だョ!全員集合』(TBS系)などレギュラー出演したのは人気番組ばかり。だが、活動は5年で終了。結婚引退した彼女は今年、66歳になったという。近況を聞いた。

「焼き肉チェーン店で20年間働いていたんです」

――本誌読者にとっては懐かしいグループですが、アコさんは今、何をされているんでしょう?
アコ「結婚後は専業主婦になりましたが、夫とは25年前に死別しました。それからは2人の子供を成人させるのに必死。手を離れてからは芸能活動も再開しつつ、焼き肉チェーン店で20年間働いていたんです。
その店も今年1月に閉店。今は別のステーキ店と介護ヘルパーの掛け持ちをしています。芸能の仕事に関しては、この年齢を生かして雑誌や広告のシニアモデルがやれたらなぁと思っています」

――職場の同僚たちはアコさんのアイドル時代をご存知なんですか?
アコ「アルバイトの子たちは高校生や大学生ばかり。私が『昔はアイドルだったのよ』と言うと『へぇ~!?』と驚いてはくれますが、それ以上は会話が進まなくて(笑)」

アコは高校を卒業すると、アイドルを目指して母親とともに上京。都内のそば屋に住み込みで働きながら日本テレビ音楽学院に通った。入学後半年くらいで受けたのがアパッチを結成するためのオーディションだった。

――当時は『スター誕生!』(日本テレビ系)など、オーディション番組も盛んでしたが、それは受けなかったんですね?
アコ「そうなんです。田舎者だったので、東京に出さえすれば何とかなると思っていたのと、当時は音楽学院のツテで新人賞レースなどでプラカードを持つ仕事をしてまして。一応、芸能の入り口にはいられてるなと…(笑)」

――そこでアパッチのオーディションがあった。
アコ「歌って踊れる子を探そうということだったようですが、最終的に選ばれたのが私とミッチー、ヤッチン。
今思えば、2人ともプラカードを持つときにワンセットのように一緒だったんです。子供だった私には分からないけれど、運命的なものを感じました」