元『アパッチ』アコが清水健太郎への淡い恋心を告白「お家に呼ばれたこともあるんです」

現役時代の給料は月5万円、引退後は40万円

アコ (C)週刊実話Web
――そんなに忙しかったら、お金の苦労もなくなった?
アコ「ところがお給料制だったので、月5万円でした。でも以前、メンバーのヤッチンと話していたら『私は10万円もらっていたよ』って(笑)。
まあ、私の場合は洋服代や部屋代など、色々と引かれていたんでしょう。とても助かっていたので、恨みとかはありません。
’81年に解散するのですが、もともと5年契約だったので、事務所からは退職金も出たんです。確か10万円。そのお金でマルチーズを買いました。
その後は銀座の会員制ミニクラブで働き、月40万円くらい稼いでいたんですよ」

――当時の恋愛事情はどうだったのでしょう?
アコ「とにかく忙しいのと事務所が厳しかったので、出会いは全くありませんでした。ただ、淡い恋心を抱いている人はいました。
清水健太郎さんです。たまたま誕生日も一緒で、彼のお家に呼ばれたこともあるんです」

――それは大チャンス!
アコ「でも、お姉さんがいらしたし、お付き合いまでは発展しませんでした。どうして呼んでくれたのか、今でも謎なんですけど…」

――引退と結婚の真相を聞かせてください。
アコ「事務所との契約終了のタイミングで、ちょうど結婚が決まったんです。夫は普通のサラリーマン。芸能界に未練はなかったので、結婚するので辞めますと事務所に伝えました。
それだけ夫のことが好きでした。いきなり夫の両親と夫の弟も妹もいる家に嫁いで、アイドルから家族6人の家の主婦になったんです。義父は職人で、そのお弁当も毎日私が作りました。
その夫も私が41歳のときに亡くなりましたが…。生まれ変わってももう一度一緒になりたいかと聞かれたら、当然イエス。なので、再婚はないですね」

――熱いお言葉、ありがとうございます(笑)。

「週刊実話」6月12日号より

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アコ

1958年10月11日、宮城県生まれ。中学卒業後、静岡県の工場に就職したがホームシックにより1年で退職。宮城に戻るも、後に母親と上京する。当時、スタジオミュージシャンで構成するバンドの曲『ソウルこれっきりですか』がヒット。これをテレビで歌う歌手が必要になりアパッチが結成された。