「クロサワ見てなきゃ人間じゃない」のむみちが“名画座界のマザーテレサ”と言われるようになったキッカケ

のむみち (C)週刊実話Web
村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前までにやっておくべきこと」。前回に引き続き、“名画座界のマザーテレサ”のむみち氏のインタビュー(中)をお届けする。

「私という人間は『大草原の小さな家』でできている」

「好きな監督は成瀬巳喜男や五所平之助、千葉泰樹でしょ…好きな俳優は男なら大木実、女なら飯田蝶子。え、好きな作品ですって? いっぱいありすぎて、選べない。

インタビューで絶対聞かれる質問なんだから、用意しとけばいいのにね…あの、冒頭からなんですが、ちょっと待ってもらってもいいですか」

古い映画を愛し、その場を、人をも愛してしまう。『名画座かんぺ』の発行人・のむみちが生涯ベスト日本映画を思い出している間に、彼女の歩んできた人生を振り返ってみたい。

霧島山地に囲まれた宮崎県都城の小さな家。そんな場所に、のむみちは生まれた。

父は教師。母は専業主婦。本が好きで、『大草原の小さな家』を見て育つ。

幼い彼女に映っていたのは、インガルス一家の素朴で誠実な人々の姿。

人のために動くことに見返りを求めない。損得でなく、“そうあるべきだと思うから行動する”という彼らの姿勢は、極度の面倒くさがり屋ながら、誰かの役に立てるなら自らの利益を顧みずつい行動を起こしてしまう現在の彼女へ受け継がれているのだろう。

アメリカは憧れとなった。高校を出たのむみちは死にたいくらいに憧れた花の都、ニューヨークへと旅立つ。

時に1995年。成瀬も古い映画もまだ出てこない。

「これはね、本当に私という人間は、『大草原の小さな家』でできているんですよ。その影響で古き良きアメリカの空気に憧れがありました。

近所の大好きなおねえちゃんが英語教室に行っていたので一緒に通わせてもらってね。子供の頃から『いつかアメリカに行きたい』と考えていました。

だから、高校を出たらすぐに留学しました。何をしに行くとかじゃないですね。とにかくアメリカに行って、その空気に触れたい。ニューヨークでバイトして、3年ぐらい行っていたのかな。

’98年に日本に帰って来て、向こうで出会った17歳上のトランぺッターと東京で一緒に住み始めて。仕事は母に『就職して』と言われ続けましたけど、結局、会社勤めはしなかったな。

やっぱり、本が好きだったから、関われる仕事がしたかった。そんなときに、たまたま入った古本屋に貼り紙があって。

そこが往来座の前身の店。『働きたいです』と言ったその日から、もう25年(笑)。人生、あっという間ですね」