阪神球団史上最悪の暴虎事件「横浜スタジアム審判集団暴行事件」はなぜ起きたのか?

阪神甲子園球場 (C)週刊実話Web
【阪神球団創設90周年ベンチ裏事件簿】第七弾
阪神球団創設90周年。プロ野球界で長らく巨人と人気を二分してきた“西の雄”だ。その阪神の番記者として陰に陽に取材してきたのが、元スポーツニッポンの吉見健明氏。トップ屋記者として活躍した同氏が、知られざる阪神ベンチ裏事件簿の“取材メモ”を初公開する。

1982年8月31日に起きた『横浜スタジアム審判集団暴行事件』

現代のプロ野球は子供も安心して楽しめる興行となり、すっかり乱闘も見かけなくなった。

ただ、オールドファンにとって、乱闘は選手のむき出しの闘争心や意外な人間性を垣間見ることができる密かな楽しみだった。

昭和の球場は今より人間臭い場所だったのだ。

阪神の長い歴史の中で、乱闘といえば、真っ先に思い出される事件がある。

1982年8月31日に起きた『横浜スタジアム審判集団暴行事件』だ。

対横浜大洋ホエールズ戦、1対1の同点で迎えた7回表、阪神の攻撃。藤田平の打球が三塁ライン際のフライとなり、三塁手・石橋貢のグラブをかすめて、ファールゾーンに転がった。

三塁塁審・鷲谷亘の判定はファール。これを見た三塁コーチボックスにいた河野旭輝が「石橋のグラブに当たっていた。ファールではなくフェアだ」と猛抗議を開始した。

その瞬間、阪神の一塁ベンチから島野育夫、柴田猛の両コーチが鬼の形相で飛び出した。

それからはあっという間の出来事だった。島野、柴田に監督の安藤統男も加わって鷲谷審判に詰め寄る中で、島野がヒートアップ。

鷲谷審判に殴る蹴るの暴行が始まり、後方からは柴田の蹴りと鉄拳も飛び出し、鷲谷審判が地べたに倒れ込んだのである。

駆け付けた審判団や両チームの選手たちが2人を引き離そうとするが、止まらない。今度は2人に退場宣告をした主審・岡田功の右わき腹に柴田のパンチがメリ込み、よろけるようにグラウンドに膝をついた。

球場は大混乱となり、責任審判の岡田は怒りのあまりプロテクターを地面に叩きつけ、審判団を全員引き揚げさせてしまった。

そのまま没収試合になる可能性もあったが、島野・柴田が退場となり、安藤が審判室を訪れて謝罪することで試合は再開した。

これが阪神球団史上最悪の「暴虎事件」である。