阪神球団史上最悪の暴虎事件「横浜スタジアム審判集団暴行事件」はなぜ起きたのか?

「審判の巨人びいきは確かにあった」

もちろん、いかなる理由があろうと暴力は否定されるべきだろう。

ただ、筆者には2人が暴力に及んでしまった理由も痛いほど理解できた。

50年以上にわたってプロ野球を取材してきた筆者の結論も「審判の巨人びいきは確かにあった」だ。

筆者はある偶然から、東京・池袋のスナックでセ・リーグ審判部長も務めたTと話す機会があり、かねてからの疑問をこう切り出したことがある。

「ON(王・長嶋)ボールってあったんですか?」

「プロ野球は巨人ファンで成り立っているからね。差別はしてないけど、ファンが喜ぶような試合展開を考えて盛り上げたいとは思ってます。
例えば、長嶋茂雄さんがカウント、ツースリーで際どいコースを『ボール!』と叫びながら見逃したので思わずボールの判定をしたことがありました。
私が長嶋ファンだからかも知れませんが、まあ、ファンが喜ぶことなら、ね」

酒の席とはいえ、口が裂けても言ってはいけないセリフだ。

これが当時の球界関係者の本音だった。

星野も島野も巨人びいきの審判に苦しめられた野球人生だった。

それだけに相通じるところがあったのだろう。

このときに生まれた固い絆は星野監督、島野ヘッドコーチという形で長く続くことになる。

最初は中日、そして、2003年には阪神に18年ぶりの優勝をもたらせることにもなった。

島野は’07年に他界してしまったが、筆者は闘病中に電話で話す機会があった。

「星野がいなかったら俺の野球人生はあのとき終わっていた。人は1人では生きていけないんだよな―」

熱い男の声は今も脳裏に焼き付いている。

【一部敬称略】

「週刊実話」6月5日号より

阪神球団創設90周年ベンチ裏事件簿】アーカイブ

吉見健明

1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。