「29年後には天下を取ってみせる」海部俊樹は“29”という数字に縁がある男であった

竹下登と海部俊樹の関係が窺える光景を目撃

しかし、悲願を果たしたものの、総理のイスの座り心地は決していいものではなかった。

自らの後継に宇野宗佑を担いだ竹下は、宇野が女性スキャンダルで退陣すると、なお影響力を温存するため雄弁会の後輩でもある海部を担いだ。

こうした経緯から海部は、必ずしも強いリーダーシップを振るえる環境になかったのである。

また、海部は総理になるまで閣僚経験に乏しく、文部大臣を2回やっただけで、内政から外交までどれを取っても門外漢であった。

ゆえに自民党内の海部政権を見る目は、発足時からなんとも厳しかったのだ。

筆者には、こんな思い出がある。

海部が総理になった年の暮れ、早大雄弁会の年1回の総会があった。

総会といっても堅苦しいものではなく、OBと現役が入り交じって旧交を温める和やかな会である。

筆者もOBとして参加したが、竹下と海部の「関係」が窺える光景を目の当たりにした。

なんと、立食の席で竹下が海部の後ろから、肩を揉むような格好でニコニコしながら何かを語りかけていたのである。

筆者には、親父が息子に「おい、しっかりやれよ」と檄を送っているようにも見え、改めて両者の密接な「関係」を感じたものだった。

案の定というべきか、こうした海部政権はスタートからリーダーシップの欠如を露呈した。