江夏豊「黒い霧事件」「トレード放出」「覚醒剤逮捕」の真相を阪神番記者が激白

江夏豊 (C)週刊実話Web
【阪神球団創設90周年ベンチ裏事件簿】第五弾
阪神球団創設90周年。プロ野球界で長らく巨人と人気を二分してきた“西の雄”だ。その阪神の番記者として陰に陽に取材してきたのが、元スポーツニッポンの吉見健明氏。トップ屋記者として活躍した同氏が、知られざる阪神ベンチ裏事件簿の“取材メモ”を初公開する。

事の発端は「黒い霧事件」

4位に沈んだ1974年のシーズン終了後、選手からの求心力を失っていた金田正泰監督が辞任し、代わって吉田義男が新監督に就任した。

その吉田が真っ先に取り組んだのが、チームの和を乱す爆弾となっていたエース・江夏豊の再生だった。

吉田は阪神の誇る黄金バッテリー・江夏と田淵幸一を極秘で兵庫・西宮市にある高級ステーキ店に招待し、わだかまりを解消させようとした。

だが、江夏の一匹狼の気質はそう簡単に変わるはずもなく、逆に江夏に対するチームメートたちの不信感は修復不可能なほど壊れ切っていた。

性格的な問題だけではない。多くの選手たちが、1973年の優勝のかかった中日戦でのピッチングを八百長だと疑っていたからだ。

それほど江夏の身辺には八百長疑惑がベッタリと付きまとっていた。

事の発端は1969年に勃発して球界を巻き込む大騒動となった黒い霧事件。騒動の中で江夏にも翌年、「野球賭博にかかわる暴力団との交流」という疑惑がかかったのだ。

事実、山口組の大物幹部から高級腕時計をプレゼントされていたことが判明し、兵庫県警も捜査に動いていた。

遊軍記者としてこの疑惑を追いかけていた筆者は、阪神球団幹部のO氏が問題になった江夏の腕時計を返却するため、山口組事務所に行った事実を突き止めている。

江夏に下されたのは「戒告処分」だった。

人気の高いスター選手の江夏を守るため、セ・リーグ会長・鈴木龍二が水面下で各方面に働きかけて事が大きくなるのを防いだのだ。

その後、筆者は謹慎中の江夏の直撃を狙って阪神の寮・虎風荘の横にあった喫茶店に入り浸った。

この喫茶店は元虎風荘寮長の杣田登が経営しており、杣田は江夏が信頼する数少ない阪神関係者だった。

謹慎中の江夏は連日、虎風荘で徹夜麻雀に興じていた。厳しい処分にならなかったことは筆者も素直に嬉しかったが、その半面、とても反省しているとは思えない様子だったことが引っ掛かっていた。

球団内での確執や八百長疑惑もあって、数年前から江夏のトレード放出は何度も噂になっていた。

新監督となった吉田は江夏の放出を拒否したが、それでも江夏の唯我独尊ぶりは一向に変わらなかった。